竹内まりや様 

 大阪城ホールでのライブ、心から楽しませていただきました。あなたは約束どおり何倍にもグレード・アップしてステージに戻ってきてくれましたね。達郎さんとともに、常に自分のミュージック・ライフの中心に位置してきたまりやさん。自分の心の中のまりやさんの過去、現在、未来を綴ってみました。

【1982年12月22日 東京厚生年金ホール】
 突然の休業宣言からあっという間に4ヶ月が過ぎ、複雑な気持ちでファイナル・ステージを迎えた。「達郎も幸せになるんだから、仕方がないんだ」。そう何度も自分に言い聞かせた。幸運にも最前列中央の席を得た私の目の前に、溌剌とした姿で全身全霊を込めて歌うまりやがいた。"So long concert"と銘打たれたツアーには、「また今度ね」という気持ちが込められていると信じていた。そして「必ずグレード・アップした自分になって戻ってきます」、というまりやの最後の言葉を信じていた。

【2000年7月31日 大阪城ホール】
 待ち続けた。長かった。でもまりやは約束を果たしてくれた。達郎のギターイントロがうなりを上げ、「アンフィシアターの夜」がスタートする。18年7ヶ月の封印が解き放たれる瞬間だ。まりやの登場で会場はいきなり総立ち状態。みんなこの日を待っていたのだ。
なんとすばらしい声の張り、艶なのだろう。18年のブランクを思わせるものは微塵もなく、完璧なバックとすばらしい歌唱力で我々を魅了した。「プラスティック・ラブ」は、言わずと知れた、達郎が最も好きなまりやナンバーだ。バックが奏でるすばらしいグルーブは、まさにJOYバージョン。後半の達郎とのコーラスの掛け合いには、鳥肌が立つほどしびれた。そして最後は二人だけで歌った「Let It Be Me」。興奮状態で聴くしっとりとしたデュエットは、FMで披露されたそれの何倍もの感動を与えてくれた。

【2000年12月○○日 東京近郊 ○○ホール】
 10月にリリースされた新譜を引っさげての全国ツアーの初日。もちろんバックは達郎バンドだ。7月の感動があと数分で甦る。この場にいられる自分をつくづく幸せなヤツだと思った……。

 思い返せばこの19年間、達郎・まりや夫妻は常に自分達にとって理想の夫婦関係でした。
43/42才の私達夫婦は偶然にも山下ご夫妻の2年遅れくらいで結婚、出産という路を歩んできました(一人娘ということまで真似してどうする)。自分のわがままとパートナーへの思いやりとは一見相反することだけど、「相手を理解し認めてあげて、相手の喜ぶ顔を見て自分も幸福になれる」と考えれば決して矛盾しない。そんなことを教えてくれたのも、山下家の幸せで、安定したご家庭から発せられる楽曲とFM等でのお二人の言葉だったのです。まりやさんは今回のライブの中で、「今の自分があるのは、こんなペースでもいいからレコードを出し続けて下さい、と言ってくれるファンの皆さんのお陰です」と語られましたね。でも我々ファンがまりやさんを支えているというのは、言い換えれば、まりやさんが創り出す楽曲が我々の心を支えてくれている、ということなのです。そのことを忘れずに、いつまでもファンに安らぎと元気を与えて下さい。
 そして最後に、私の心の中のまりやさんの未来像が現実になることを心から祈っています。


福田博樹





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