2014.11.30 - 追悼大瀧詠一
冬のリヴィエラ 冬のリヴィエラ
森進一

シングル (1982)

《あれは一年前》と そろそろそういう気分で《ぐちは云うべし こぼすべし》もいい加減にしようと思いますのでまとめて。

大滝さんに会いたかった。ぼくは達郎さんにも James Brown にさえも(笑い)バッタリ会ったことがあるので、本気で会えるものだと信じていました。大滝さんと《議論》は123年早いと思いますが、せめてその《洞察のスコール》(銀次さん)を一度でも浴びてみたかった。沐浴ですね、宗教です。だから大滝なのか・・・

大滝さんの降臨というと、90年代後半の Amigo Grage がらみのファンページの「非公認公認」、2000年の「ロフト・プラス・ワン」出演、それに2000年代後半からのインターネットの「ラジオ・デイズ」などが思い起こされます。どれもすごーく わたし的に近しい人が《接近遭遇》していたのですが、わたしはどれもなし。うらやましくも《次ぎ行こ、つぎ》と思っていました。そして大滝さんはどこかに行ってしまいました。


自分にとって、大滝さんとの物量的な距離が(精神的距離はともかく)一番近かったのはいつ頃だったのかを考えてみました。それはどうやら1982年であったようです。

なんども同じようなことを書いていて恐縮ですが、私はロンバケ世代で1981年に大滝さんを知ります。1982年は3月に「トライアングル Vol.2」がリリースされ、8月からは忘れもしない「TBS サウンドストーム DJANGO」枠内のゴーゴーナイアガラが放送されます。この毎週火曜の深夜1時から3時までの体験が濃密でした。このゴーゴーナイアガラは特殊な構成で、前半1時間イーチの DJ があって、後半1時間はゲスト。とにかく面白くて面白くて、おそらく毎週完璧に生で聴いていたと思います。うちの高校には48キロを走るマラソン大会があったのですが、その前日でさえ早く寝たのに1時に放送が気になって目が覚めてしまい聴く。記録を見るとゲストがビジーフォーの回。ビジーフォーのために過酷な(笑い)マラソン大会前日に夜更かしするなんてどうかしてますが、まあそういう感じで。

残念なのは DJANGO 時代があまり振り返られていないこと。それは自分自身が録音を残していなかったことが一番残念なのですが。カセット録音はしてましたが、生で聴き、録音を三回くらい聴き、翌週《同じテープに》上書き録音。ハガキを書かない私ですがこの頃は書いていて、大滝さんに何度か読んでいただきました。最初に読まれたのは、ゲストが難波弘之さんの回の感想を送ったときだったと思います。あまり自覚をしていませんでしたが、高校のときのこの《接近遭遇》が、現在に至る大滝さんとの距離感を決めました。いつでもそばにいる。


この放送期間中に、大滝さんの新曲として出てきたのが森進一の「冬のリヴィエラ」。番組で もちろん紹介されました。大滝さんはよく「んー」と鼻音で発声していましたが、この時の「んー」は、普通の3倍くらいの長さにラジオからきこえ、その満足感・充実感が高校生の私にもしっかりと伝わったのでした。その「んー」はいまだに鮮明に覚えていて、森進一の素晴らしい歌唱と一体になり忘れることはありません。


翌1983年は西武球場でライブがあってセルフカバーの「夏のリヴィエラ」を聴く。これが(遠目にも)わたしが大滝さんに《会った》2回中の1回でありました。

(たかはしかつみ)




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