2013.07.05 - Nippon 80s Special
Back To '64 Back To '64
Nobody

シングル (1983)

「ニッポンの80年代特集」ということで、今ではあまり語られないNOBODYについて紹介させて下さい。

色々なところで彼等の音楽をかけてNOBODY好きを公言してますが、ホント語られないですねぇ(涙)。80年代にはハウンド・ドッグの「浮気な、パレット・キャット」やアン・ルイスの「六本木心中」、吉川晃司の「モニカ」などの大ヒット等々、そして松田聖子にまで曲を書き贈っていた売れっ子ソングライター・チームだったのに、自らのバンドNOBODYでは特別大きなヒットが無かったからでしょうか? 全盛期に所属していたレーベルがTDKコアという少々マイナーなレーベルだったからでしょうか?

NOBODYは相沢行夫と木原敏雄の2人組。2人ともキャロル結成前の矢沢永吉と知り合いだったことから、長年に渡って矢沢のバックをサポートし続けますが、相沢氏は1970年代に「NORA」というビートルズ・テイストのバンドでデビューしたりしています。矢沢永吉の渡米をきっかけにして、1981年にNOBODY結成。様々なアーティストへの楽曲提供やプロデュースを行いながら、90年代まで活躍しました。

自分が通った高校には不良が多く、永ちゃんファンも多かったこともあって、今思えばそんな流れなのでしょうか、友人のSちゃんにNOBODYの存在を知らされます。当時リリースされたばかりの『Pop Gear』というアルバムが本当にカッコ良くて、毎日聴いていました。『Pop Gear』は彼等の2枚目のアルバムで、アン・ルイスに提供した「LUV-YA」や、山本達彦に提供した「My Marine Marilyn」などのセルフ・カヴァーも入っていましたが、何と言っても好きだったのは、シングル・カットもされた「Back To '64」という曲でした。“ドン・ドドン・ダン!”の「Be My Baby」なイントロで始まるオールディーズ・アンセム。甘いオールディーズ風味にピリッとしたリヴァプール・サウンドの刺激、それに夏の香りをまぶした、80年代初頭ならではの名曲だと思います。“1964年讃歌”というカテゴリーがあるとすれば、竹内まりやの「マージービートで唄わせて」と双子のような曲でもあります。

永ちゃんにも通じる、不良の音楽の持ってるセクシーさ、独特のロマンティックさみたいなものをNOBODYにも感じます。2人と矢沢永吉はビートルズ仲間だったと推測されますが、元を辿ればビートルズもレッキとした不良の音楽。今の日本にはそういう音楽があまりない気がします。クレイジーケンバンドがつくづく貴重だと思うのはそこら辺でしょうか。


今日の1曲


(高瀬康一)




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