Mina

Un Buco Nella Sabbia

1964 Victor FON-1041/Single





 Sunday Song Bookでは「Volare」や「Al Di La'」など、イタリア語のオールディーズが時々かかることがありますね。僕はイタリアのポップスに結構興味があって、英米のポップスと一味違う濃厚な歌謡性を楽しみつつ愛聴しています。でも昨今のラジオではイタリア産ポップスを取り扱ってくれる番組があまり多くないのが残念です。日本の場合は60年代にカンツォーネ・ブームがあったためか、「イタリア物=懐メロ」扱いされて敬遠されているのかなという気がしないでもないですが。しかし60年代におけるイタリア産ポップスの浸透が独自の国産ポップスの形成に一役買ったことは誰もが認めるところでしょう。それだけ日本人の耳に馴染むメロディー、我々の心を捉えて離さないマジックがそこに溢れているのです。


 日本のカンツォーネ・ブームは Mina の「Tintarella Di Luna」(月影のナポリ)(1959年)のヒットから始まったと言われています。Mina は Milva や Ornella Vanoni と並びカンツォーネの女王と評された大歌手。本名は Mina Anna Manzzini。1940年3月21日北イタリアのクレモナ生まれで、"クレモナの女豹"という愛称で親しまれています。1958年にデビューし、翌年のサンレモ音楽祭に「Nessuno」で出場して有名になりました。その後、前述の「月影のナポリ」、「砂に消えた涙」、「Se Piange,Se Ridi」(君に涙とほほえみを)、「Un Anno D'amore」(別離)など沢山のヒットを飛ばしました。そして日本語でのレコードも数多く吹き込みました。その中で「砂に消えた涙」は日本でもっとも愛されたイタリアのポップスの一つだと思います。メロディーもアレンジもとても親しみやすくて、本当は日本人が作ったんじゃないかとしか思えないほど。この曲が後の歌謡曲に与えた影響は相当大きいものがあったのではないでしょうか。 桑田佳祐のフェイバリット・ソングでもありますね。

 漣健児氏作詞による日本語バージョンは Mina 本人、弘田三枝子、伊藤アイコ、ザ・ピーナッツなど数多くのカバーを生んでいます(これについては森勉さんの音人千一夜も是非ご覧下さい)。漣氏は題名からイメージを膨らませて、哀しく切ないこの歌詞を書き上げたそうです。この曲が長く愛され続けた理由に漣氏の詞の素晴らしさが挙げられると思います。「愛の形見」というフレーズはあまりにも美しく、粋ですね。

(醍醐英二郎)





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