■Jerry Ross を支えたスタッフ達

いわゆる Jerry Ross サウンドを形作ってきたのは本人の力だけでなく、そのバックに徹した優れた多くのミュージシャン達であり、質の高い音作りを持続できたのは Jerry Ross のマネージメントによるところが大きかったと考えられます。



主なソングライター

Kenny Gamble-Leon Huff
Kenny Gamble-Leon Huff

Jerry Ross の下で多くのことを学んできた Kenny Gamble Leon Huff ですが、Ross から独立後、1967年にプロデュースしたブルー・アイド・ソウル・グループ、Soul Survivors の " Expressway to Your Heart " はトップ5に入るヒットとなります。その後も
Archie Bell & the Drells の " I Can't Stop Dancing " や Jerry Butler の " Only the Strong Survive " も好成績を記録。
その後2人は Berry Gordy の Motwon の成功を睨みながら、大手レコード会社の Columbia Records の後押しもあって、1970年に Philadelphia International Records を誕生させます。そして Billy Paul " Me and Mrs. Jones ", Harold Melvin & the Blue Notes " If You Don't Kow Me by Now ", The O'Jays " Back Stabbers", "Love Train" など次々とヒット、彼らが生んだ The Sound of Philadelphia は全世界を席捲することになります。


Mark Barkan-Ritchie Adams

Mark Barkan-Ritchie Adams は Mercury 以降の中期の Jerry Ross の作品には欠かせないソングライター・チーム。Mark Barkan は音楽出版会社出身のようで、1960年代前半には、Ben Raleigh と組んで、Lesley Gore を始め多くのアイドルに曲を提供しています。またイギリスの作詞家 Scott English ともいくつか共作を残しています。一方、Ritchie Adams Bobby Lewis, Gary Lewis And The Playboys などで有名な " Tossin and Turnin " の共作者の1人でもあります。


Toni Powers-George Fishoff

Mercury 時代のポップな曲作りで貢献した George Fishoff も過去に Hank Hunter などとの共作曲があることから音楽出版社出身の人だと思われます。Toni PowersEllie Greenwich との共作で有名な作詞家。George Fishoff Toni Powers とのコンビ解消以降、美人作詞家 Carole Bayer Sager とコンビを組んでたくさんの佳曲を残しました。


Denny Randell-Sandy Linzer

Denny Randell-Sandy Linzer は、The Four Seasons を手掛けた Bob Crewe のソングライティング・スタッフとして有名なチーム。The Four Seasons の " Let's Hang On! "," Working My Way Back to You "," Opus17 " の3連発ヒットは彼らの作品。一番有名なのは、The Toys がヒットさせた " A Lovers Concerto " 。


Peter Anders -Vinnie Poncia

Jerry Ross が愛してやまなかったソングライター・チーム、Anders-Poncia は、White Doo-Wop のグループの The Videls 出身。Leiber-StollerPhil Spector の下で鍛えられた後、The Innocence, The Tradewinds といったスタジオ・ミュージシャンを集めたグループを作ってアルバムをリリース。山下達郎さんがカバーした " New York's A Lonely Town " は彼らの作品。


Gary Knight-Gene Allan

スィート・ソウル・グループ Courtship やガール・グループ The Devonnes を担当したソングライター・チーム。胸キュンの切ないメロディーには脱帽。Gary Knight は、Bob Crewe がプロデュースを手掛けた Lesley Gore のアルバム『California Nights』で殆どの曲を Bob Crewe と共作しています。山下達郎さんによると Connie Francis の " Vacation " に名を連ねている Gary Weston はどうやら彼のことらしいです。一方、Gene Allan は、Bobby Vinton の " Mister Lonley " の作者として名を連ねています。


Mort Shuman

Mercury 時代に多くの作品を Jerry Ross と共作したベテラン・ソングライター。ブルックリン生まれの Mort ShumanDoc Pomus と組んで、 Drifters の " Save the Last Dance For Me " や "Sweets For My Sweet ", Dion and The Belmonts の " Teenager in Love " 等ヒット曲を作り続けます。アメリカを代表する作家の1人。


James Hovay-Gary Biesbier

ブルー・アイド・ソウル・グループ The Mob のリーダー、James Hovay は、ソングライティングについても非常に長けていた人。バンド仲間の Gary Biesbier と組んで Chicago のプロデューサーで有名な James William Guercio が1960年代中期に手掛けたグループ The Buckinghams に、" Don't You Care "," Hey Baby (They're Playing Our Song) ", " Susan " など優れたナンバーを提供しています。



アレンジャー

Jimmy " Wiz " Wisner

1960年代中期からたくさんの作品をこなしてきた敏腕アレンジャー。1931年フィラデルフィア生まれで、1959年に Jimmy Wisner Trio を結成し、ジャズ・ピアニストとして広く活動。Jimmy Wisner Orchestra 名義でリーダ・アルバムも出していましたが、ポップス・フィールドで、1961年に Kokomo 名義でリリースした " Asian Minor " が全米8位となるヒットを記録しました。
Jerry Ross 作品以外でも Len Barry, The Buckinghams, The Cowsills と多くのポップ・ミュージシャンの向けにアレンジをこなしてきました。1960年後半にはプロデューサーとしても活動。Jimmy Wisner が1960年後半にプロデュースした The Tymes (
" So Much in Love " のヒットで有名)は、Jerry Ross の流れを汲むサウンドに仕上がっています。

Jimmy Wisner Orchestra / Cast Your Fate To The Wind (Original LP)


Kokomo / Asia Minor (Taragon/CD)


The Tymes / People Produced by Jimmy Wisner(Original LP)



Joe Renzetti

Jimmy Wisner に並んで Jerry Ross サウンドの要となったソングライター兼アレンジャ−。1941年生まれで、元々はギターリストとして活躍していたようです。非常に洒落た曲を書き、この人のセンスなしでは Jerry Ross サウンドはありえなかったでしょう。
1980年代に入ると映画音楽界にフィールドを移します。『バスケット・ケース』シリーズ、『フランケン・フッカー』,『ポルターガイスト3』などスプラッター・怪奇映画などを中心に手掛け、1978年に公開された『バディ・ホリー・ストーリー』ではアカデミー賞に輝いています。


Bobby Martin

ヴィブラフォン奏者として Jerry Ross の作品に参加していましたが、Kenny Gamble がらみになるとこの Bobby Martin がアレンジャ−として起用されるようになりました。Gamble-Huff の 設立した Philadelphia International Records(PIR) では、名実ともにトップ・アレンジャ−となり、PIR のハウス・バンド、MFSB(Mother,Father,Sister,Brother)を率いて、Harold Melvin & the Blue Notes, The O'Jays, Three Degrees などのPIR のミュージシャンをバックアップし、八面六臂の活躍をみせました。


Claus Ogerman

1930年ポーランド生まれ。ジャズ界ではピアニスト、アレンジャ−として重鎮的存在。ポップス・フィールドでは Quincy Jones プロデュースの下でデビューした Lesley Gore の一連のヒット作品をアレンジを手掛けたことが有名です。。1967年には、Creed Taylor がプロデュースしたブラジルの Antonio Carlos Jobim の『Wave』等のアレンジを手掛け、ボサノバを世界に広めることに大きく貢献しました。スムーズなラテン・タッチのアレンジをさせたらピカ一。

Claus Ogerman(右)




エンジニア

Frank Virtue

1933年フィラデルフィア生まれ。1960年代初頭、Jerry RossFrank Virtue が所有する Virtue Studio を利用して録音を行っていました。この Frank Virtue は元々ギターリストだったようで Frank Virtue & the Virtues なるバンドを率いて活動していたようです。


Joe Tarsia
Joe Tarsia

Joe Tarsia は1958年頃にフィラデルフィアのローカル録音スタジオで働き出し、1961年に Cameo Parkway Records に移ります。そこで Jerry Ross らと知り合い、多くのミュージシャンを手掛けて Cameo Parkway のチーフ・エンジニアに昇進。1968年には Cameo Parkway から独立し、彼自身のスタジオ Sigma Sound Studios を設立。その優れたスタジオの機能と Joe Tarsia のエンジニアとしての力量は、Jerry Ross をはじめ、新鋭プロデューサー・チーム、Kenny Gamble-Leon Huff そして Thom Bell らから厚い信頼を得て、このスタジオが常時使われることになります。The Intruders, Harold Melvin the Blue Notes, the Ojays, Teddy Prendergrass, The Stylistics, The Delfonics .... 、とこのスタジオで録音したミュージシャンは数知れず。殆どの The Sound of Philadelphia はこのスタジオから生まれています。


前のページへ | Jerry Ross メイン

Copyright (c) circustown.net 1999 - 2000, All Right Reserved.