2024.02.21
ローマの松 ローマの松
ボストン交響楽団 小澤征爾指揮

(1977)

小澤征爾さんが亡くなりました。2024年2月6日、享年88歳でした。

小澤さんは、レコードとテレビの両方から、クラシック音楽を私たち日本の音楽ファンに伝えてくれた存在でした。

筆者が子供の頃は(1970年代)、クラシック音楽はレコード屋さんの王様でした。街のレコード屋にも指揮者のポスターが掲げてあり、クラシックのコーナーは店の奥に構えてありました。ヒーローは、カラヤン、バーンスタイン、そして小澤征爾。カラヤンとバーンスタインは今から思うとびっくりするほど人気・実力・容姿全てがそろっていたのですが、小澤さんも同じ枠でした。

また、小澤さんはテレビにもよく出ていました。テレビで指揮者というと山本直純さんでしたが、小澤さんもよくテレビで見かけました。その代表が直純の「オーケストラがやって来た」への客演でした。小澤さんがどの程度テレビに出てたのか思い出せませんが、彼のひととなりはお茶の間レベルでよく知られていたと思います。「小澤さんのレコードは一枚もないけど、よく知っていて、尊敬されている」というのは私が子供の頃の我が家の状況でしたが、どんなもんでしょ?




小澤は1959年に単身パリに渡り、そこから2年でカラヤンとバーンスタイン両指揮者に知己を得て師事。この勢いで60年代をシカゴ響、トロント響などの指揮者として過ごし、70年代にはボストン交響楽団の音楽監督に就任します。この一連の活躍は日本人の誇りにすらなっていたと思います。他方、今では外国人としての苦労や日本での確執(N響)などもあったと聞きます。しかし70年代に彼のファンになった子供の私には、そういった苦労も聞こえず、ただただ眩しい存在として映っていました。

この時代の小澤さんが日本でどんなテレビに出ていたのか、どんなレコードを日本でヒットさせていたのか、日本でタクトを振る機会はどの程度あった等は自分の記憶からは正確なことがたどれません。興味があります。

さて、小澤さんを「憧れの遠い存在」と思っていた筆者でしたが、90年代に小澤さんが近くにいることを発見しました。新日本フィルハーモニー交響楽団です。小澤と新日フィルの関係はとても深いのですが、その当時小澤指揮公演を見つけて試しに行ってみました。すると新日フィルは毎月定期公演をしていて、うち年に1、2度は小澤さんが指揮をしている。思い切って新日フィルの定期会員になってみて、ほんの数年間ですが新日に通い、小澤さんの指揮を体験することができました。舞台は上野の文化会館、渋谷のオーチャードホール、そしてオープンしたすみだトリフォニーホールです。なお、小澤征爾指揮のレビューは残念ながら正確な記憶がなく書くことができません。日記の習慣がないことを悔やみます。小澤さんに会えてよかったという喜びと、演奏者が演奏しやすそうだなということを覚えています。

その後小澤は、ウィーン国立歌劇場の音楽監督になったり(ニューイヤーコンサートは2002年だったそう)、サイトウキネンオーケストラを松本で盛り上げたりと、周知の大活躍をしました。

私にとって小澤征爾の魅力は「わかりやすさ」です。小澤の体を一度通したクラシックが筆者にとって一番わかりやすく響きます。アイズレーより山下達郎の方がぐっと来るのは何故かというのと同じではないかと思うのですが(個人の感覚です)、その正確な理由は自分でもよくわかりません。少なくとも小澤さんの曲への丁寧な探求努力が理由なのは間違いありませんが、それ以外にも何か私たちの理解が近まる要素がどこかに潜んでいるような気がします。もちろん奏でられる音楽が日本的であるとは全く考えないのですが。


筆者の一番好きな小澤征爾指揮の作品はボストン交響楽団による「ローマの松」です。高校の時に購入した最初の小澤さんのレコードでした。2枚組のお得盤で「シェエラザード」とのカップリングでした。まずは金管がキラキラする第一部を聴いてみてください。




「ローマの松」はイタリアのレスピーギによる交響詩で、1924年に書かれています。ローマの丘々からなる風景と歴史を描いた曲で、4部まで全部聴いても20分程度なので全編おすすめです。続いて第四部を置いておきます。最後のファンファーレでは手に汗握る壮大なオーケストレーションが楽しめます。




小澤・ボストンの「ローマの松」は本当によく聴きました。教えてくれた中学時代の友人と、小澤征爾さんにとても感謝しています。




すみだトリフォニーホールと新日フィルが設置した献花台


(たかはしかつみ)

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