2022.01.05 - Songwriter
And When I Die And When I Die
Laura Nyro

Go Find The Moon (1966)

(2022年1月2日SSB『新春放談』で Milt Okun's New Friends " Going Down The Stoney End" がかかったので、2016年10月27日分をアップグレードして再アップします。)

Songwriterシリーズ
今回は Laura Nyro を取り上げます。

2021年に『Laura Nyro – Go Find The Moon (The Audition Tape)』というミニCDがリリースされました。それを踏まえて、Laura Nyro のデビュー当時のことを振り返ってみたいと思います。

Laura Nyro は1947年、ニューヨーク、ブロンクス生まれ。1966年の夏、18才の Laura Nyro はニューヨークでフォーク音楽のオーディションを受けます。選考したのが、フォーク界で活躍していた後述する編曲家、プロデューサーの Milt Okun と Artie Mogull という人でした。この音楽オーディションで録音されたテープが、2021年にリリースされたミニCD『Laura Nyro – Go Find The Moon (The Audition Tape)』の音源となります。

And When I Die(Laura Nyro) From 『Go Find The Moon (The Audition Tape)』 / Laura Nyro(1966)


この時にLaura Nyro が歌った曲には、"And When I Die" を始め、後に正式にレコーディングされる楽曲以外に、"When Sunny Gets Blue"(Marvin Fisher-Jack Segal)、"Kansas City"(Leiber & Stoller)、"I Only Want To Be With You"(Ivor Raymonde-Mike Hawker)を一節歌っており、彼女がジャンル問わず幅広く音楽に触れていたことがわかります。

Laura Nyro は見事オーディションに合格し、プロの道に進むことになります。オーディション選考した Milt Okun は Laura Nyro の楽曲をいたく気に入り、自身がミュージカルディレクターとして関わっていた、Peter, Paul And Mary に彼女の楽曲を推薦、制作中であった Peter, Paul And Mary のニューアルバム『Album』のA面1曲目に "And When I Die" が収録されます。アルバム『Album』がリリースされたのが、1966年8月ということなので、Laura Nyro のオーディション直後に録音されたことになります。

And When I Die(Laura Nyro) From 『Album』 / Peter, Paul and Mary(1966)


オーディション選考したもう1人の人物、Artie Mogull はそのまま、Laura Nyro のマネージャーとなり、翌年の1967年1月に、Laura Nyro のデビューアルバム『More Than A New Discovery』がリリースされます。アルバムプロデュースを担当したのが、Milt Okun でした。

And When I Die(Laura Nyro) From 『More Than A New Discovery』 / Laura Nyro(1967)




Milt Okun について少しだけ触れておきます。
Milt Okun は1923年、ニューヨーク、ブルックリン生まれ。1950年代後半頃からボーカルのアレンジャーとして活動。 Harry Belafonte のコンダクターも勤めていました。特にトラッドなフォークミュージックに現代的なアレンジを施し、徐々に名を上げていきます。60年代になると The Chad Mitchell Trio、Brothers Four などを手掛けていきます。特に関係が深かったのが、 Peter, Paul and Mary で、音楽ディレクターのみならず、メンバー達と一緒に楽曲制作も行いました。Milt Okun は2016年に92歳で亡くなりました


写真 : Peter, Paul and Mary と Milt Okun(右上)




Laura Nyro は翌年の1968年CBSから、セカンド・アルバム『Eli And The Thirteenth Confession』をリリース。同年、The Fifth Dimension が3枚目のアルバム『Stoned Soul Picnic』で、"Stoned Soul Picnic" と "Sweet Blindness" を取り上げ、ヒットに繋がり、Laura Nyro の名が全米に広く知られるようになります。1997年、49才で他界しました。

Laura Nyro は職業作曲家として活動してきたのではなく、シンガーソングライターとして活動してきたと言っていいと思います。ただ、1960年後半から1970年にかけて多くのミュージシャンに彼女が作った曲は愛され、取り上げられました。

ここからは 、Laura Nyro の初期の作品を中心に Laura Nyro 以外のバージョンで聴いていきたいと思います。

Stoned Soul Picnic(Laura Nyro) / The 5th Dimension(1968)

このように Laura Nyro の楽曲は西海岸の音楽関係者、ミュージシャン達が評価し、広がっていったのですが、The Fifth Dimension 以前に、Laura Nyro の楽曲に目をつけた人に Lou Adler がいます。1967年、セッション・コーラス・グループで知られる The Blossoms のシングルをプロデュースし、"Stoney End" を取り上げます。

Stoney End(Laura Nyro) / The Blossoms(1967)

翌年1968年、Lou Adler は女優、Peggy Lipton をプロデュースし、デビューアルバム『Peggy Lipton』で "Stoney End" と "Hands Off The Man (Flim Flam Man)" を取り上げます。その時、バックコーラスを担当したのが、The Blossoms でした。ちなみに Peggy Lipton の元夫は Quincy Jones です。

Hands Off My Man (Flim Flam Man)(Laura Nyro) / Peggy Lipton(1968)


Laura Nyro は他のミュージシャンへの書き下ろしは皆無と言っていい程ないのですが、1968年アルバム『Eli And The Thirteenth Confession』に収録されている、"Poverty Train" を1967年に The Ark というグループがシングルリリースしています。曲の構成も Laura Nyro のバージョンとは大きく異なっています。"aka The Purple Gang" の記載を信じればイギリスのグループのようですが、真意の程はわかりません。

Poverty Train(Laura Nyro) / The Ark (1967)


その他当時、Laura Nyro の作品を取り上げたミュージシャンの楽曲をほんの一部だけ聴いていきたいと思います。

Save The Country(Laura Nyro) / Thelma Houston(1970)

1969年アルバム『New York Tendaberry』に収録された曲を Thelma Houston が取り上げています。アレンジに Jimmie Haskell、プロデュースはSteve Barri と西海岸での制作です。Thelma Houston、抜群の歌唱力です。


Time And Love (Laura Nyro) / The Free Design(1970)

Dedrick 兄弟姉妹 を中心にニューヨークで結成されたボーカル4人組、The Free Design が1969年アルバム『New York Tendaberry 』収録曲 "Time And Love" を取り上げました。The Free Design の精細なコーラスとアコースティック・ギターがとっても良く可愛らしく仕上がっています。


I Never Mean To Hurt You(Laura Nyro) / Barbra Streisand(1971)

Barbra Streisand も1971年のアルバム『Stoney End』と『Barbra Joan Streisand』で積極的に Laura Nyro の楽曲を取り上げました。今回はちょっと地味な曲を Barbra Streisand の素晴らしい歌唱力でジャズ的なアプローチで歌っています。


Wedding Bell Blues(Laura Nyro) / Laura Nyro(1966)

最後に アルバム『More Than A New Discovery』先立ってリリースされたLaura Nyro のデビューシングル、19才の歌声を。アレンジを担当したのは、ポップス畑の Herb Bernstein 。The Happenings の "See You in September"などのアレンジをやった人です。これが良かったですね。とっても聴きやすく、多くの人の心に届いたと思います。


Young Laura Nyro

*今回、記載にあたって『Season of Lights -Laura Nyro Story』(脇元和征)を参考にさせていただきました。



(富田英伸)

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