2020.10.26
筒美京平私の10曲 筒美京平私の10曲
筒美京平

(2020)

筒美京平さんが作った曲で私の記憶に残る最も古い曲は、いしだあゆみさんの「ブルー・ライト・ヨコハマ」です。それはテレビで見た「ロッテ歌のアルバム」でした。司会の玉置宏さんがイントロで流麗な曲紹介をすると、舞台袖からロングドレスを着たいしださんが現れて歌い始める、というシーンをよく覚えています。隣で一緒に見ていた父が、お人形さんみたいないしださんに合わせて「歩いても〜歩いても〜」と下手な節回しで歌いだしたので、あまりのギャップが可笑しくてそれで幼心に覚えていたのだと思います。

筒美さんは男女、年齢を問わず様々なタイプの歌い手たちに、アイドル歌謡から演歌、GS、フォーク、ロック、ソウル、アニメソングに至るまであらゆるジャンルの曲を巧みに書き分けました。筒美さんの曲は洋楽のエッセンスを取り入れながらも、そのどれもが分かりやすく誰でも口ずさめるというもので、不世出の大衆音楽のクリエイターでした。筒美作品からはその間口の広さと音楽に対するある種の「鷹揚さ」とでもいうべきものを感じることができます。あらゆるジャンルの音楽を誰でも受け入れられる最大公約数に再編成していく職人的な技。

生涯で3千曲ともいわれている楽曲の全てを聞くことはとても叶いませんし、あまたある素晴らしい曲の中から10曲を選ぶというのは困難なことですが、この10曲とともに筒美さんの作曲家としての歩みに少しでも触れてみたいと思います。

1.黄色いレモン/藤浩一(作詞:橋本淳 編曲:筒美京平)1966
筒美さんは大学卒業後、日本グラモフォンに入社し、洋楽のディレクターとして活動をしていた時期に、作曲家のすぎやまこういちさんのアシスタントのような形で作曲活動を始めます。すぎやまさんの弟子であった藤浩一さんのデビュー曲を手がけるのですが、それがこの曲。作曲家筒美京平のデビュー作でもあります。カレッジ・フォーク調の素直な優しいメロディで、ちょっとハマクラさんあたりを意識したような雰囲気です。藤浩一さんはのちに「およげ!たいやきくん」の大ヒットを飛ばす子門真人さんその人です。当時グラモフォンの筒美さんが東芝でリリースされるレコードにクレジットできないため、すぎやまこういち名義で発表されています。

2.バラ色の雲/ヴィレッジ・シンガーズ(作詞:橋本淳 編曲:森岡賢一郎)1967
筒美さんの作曲家としての最初の大ヒット曲。もともとはすぎやまこういちさんのもとに持ち込まれた仕事だったのを、すぎやまさんが忙しくて代わりに引き受けてできたのがこの曲。背景にはこうした偶然性も多分にあるのでしょうが、この頃から歌い手を選ばず、その歌手の個性に合った曲をいかにして作るかということに心を傾けていたことが伺われます。ヴィレッジ・シンガーズは元々はカレッジ・フォークのグループでしたが、メンバーの入れ替わりなどもあり、グループ・サウンズとして売り出そうとしていたタイミングでブルー・コメッツのような曲を、というオファーを受けて作られた曲。筒美さんは見事に代役以上の回答を示しました。

3.可愛い嘘/弘田三枝子(作詞:橋本淳 編曲:筒美京平)1968
弘田三枝子さんはまだ14歳の頃に「子供ぢゃないの」でデビューし、新興楽譜出版の草野昌一=漣健児さんのもと60年代前半に洋楽カヴァーのヒットを連発していました。その後東芝からコロンビアに移籍して筒美さん作曲のオリジナル作品に取り組み始めます。「渚のうわさ」、「枯葉のうわさ」、「涙のドライブ」、「渚の天使」ときて第5弾がこの曲。68年のこの曲は当時ヒットしていたモータウンの曲調を意識しており、弘田さんのコケティッシュな洋楽センスを筒美さんが存分に活かしています。印象的なコーラスはシンガーズ・スリー(伊集加代子、尾形道子、福田まゆみ)。

4.くれないホテル/西田佐知子(作詞:橋本淳 編曲:筒美京平)1969
Engelbert Humperdinckのバート・バカラック調のヒット曲「Last Waltz」をモチーフにしたワルツ。筒美さんはバカラックを好きな作曲家に挙げていますが、筒美京平というフィルターを通して入ってくるバカラックは、西田さんの歌とも相まって洋楽的なアプローチでありながら日本的な情緒を醸し出しています。筒美さんの和魂洋才が如何なく発揮されていて、洋楽からのインスパイアを歌謡曲という大衆音楽に翻訳して提示するとこうなるのだという一端を見事に表現しています。美しい弦のアレンジが印象的な一曲です。

5.真夏の出来事/平山三紀(作詞:橋本淳 編曲:筒美京平)1971
当時筒美さんが最も印象に残った歌手として挙げているのが平山三紀さん。彼女の声の質が気にいって大いに制作意欲を掻き立てられたようです。
筒美さんはここでもモータウン・サウンドのエッセンスを大胆に取り入れています。イントロから続くベースのリフがとても印象的。そこにハイハットがリズムを刻み、ダイナミックなグルーヴを生み出しています。そしてどことなくエキゾチックでソウルフルな平山三紀さんのヴォーカルが絡み合っていきます。今聴いても、曲、詞、アレンジ、歌唱の融合が全く古さを感じさせません。初期のユーミンあたりにも影響を与えているのではないかと思います。

6.にがい涙/The Three Degrees(作詞:安井かずみ 編曲:深町純)1975
The Three Degreesはフィラデルフィアの女性三人組のコーラスグループでKenny Gamble & Leon Huffが主宰する「フィラデルフィア・インターナショナル・レコード」で数々のヒットを放ちました。74年に東京音楽祭に出演するために来日したことをきっかけに日本制作の曲を二曲リリースすることになります。一曲は松本隆作詞、細野晴臣作曲のはっぴいえんどコンビによる、英語詞の「ミッドナイト・トレイン」という曲です。これはアメリカで作られたといってもなんの違和感もないほどフィラデルフィア・ソウル然とした曲で細野さんの天賦の才能が如何なく発揮されています。一方筒美さんの作品はフィリーを意識したアレンジが施されながらも、日本語詞であることもあり、彼女たちに歌謡曲を歌わせたらどうなるかというアプローチで作られているようです。

7.想い出の樹の下で/岩崎宏美(作詞:阿久悠 編曲:筒美京平)1977
岩崎宏美さんの作品の中で個人的な思い出とともに最も印象に残っている曲がこの曲です。阿久悠さんとのコンビでデビュー曲の「二重唱(デュエット)」から8作連続で筒美作品が提供されていますが、この曲はその連作の最後を飾る作品です。筒美さんの彼女へのアプローチは当時流行っていたヴァン・マッコイやバリー・ホワイトのようなディスコ・サウンド。岩崎さんはとにかく歌が上手くて声量もあるので、彼女のエネルギーを生かすために一貫したサウンド・プロデュースが取られています。
この曲がリリースされた頃、病気で入院してしまった担任の先生に代わって大学を出たての産休補助の先生が赴任してきました。わずか3ヶ月だけの担任でしたが、ちょうどこの曲がヒットしていた頃で”私は忘れない、私は忘れない〜”というドラマティックなフックを聴くと、当時の淡い片想いを思い出します(笑)。

8.哀愁トゥナイト/桑名正博(作詞:松本隆 編曲:萩田光雄)1977
桑名正博さんが一躍メジャーシーンに躍り出たのは1979年に放った「セクシャルバイオレットNo.1」でした。ファニー・カンパニーというバンドでロック・ミュージシャンとして活動していた彼を筒美さんと引き合わせたのは、所属していたRCAレコードのディレクター小杉理宇造氏。”東のキャロル、西のファニカン”といわれ、大阪を中心に活躍していたロックンローラー桑名さんと、東京の歌謡界の大御所、筒美さんとはいかにも縁遠いのですが、両者を結びつけたのは、お互いの音楽の違いと共通点を高い次元で認め合えた二人だったからではないでしょうか。のちに”ロック歌謡”とも呼ばれたコラボレーションは、そうしたジャル分けすら不毛な完成度の高さでした。この曲はそんな二人が邂逅を果たした緊張感あふれる一曲です。

9.青い地平線/ル・ミストラル(作詞:なかにし礼、Linda Rhee 編曲:筒美京平)1978
筒美作品の中で個人的に最も好きな一曲です。TBSの情報番組でアフリカから東京まで車でキャラバンツアーをする企画があり、そのバックトラックとして書かれた曲。ル・ミストラルは契約の関係で別名でのリリースを余儀なくされたブレッド&バター。疾走感のあるリズムとどことなくエキゾチックなアレンジに岩沢兄弟の憂いのあるハイトーン・ヴォイスが溶け込んでいます。この作品からはのちの「魅せられて」につながる雰囲気が感じられます。この曲はのちに細野晴臣さんのアレンジによりブレッド&バター名義でセルフ・カヴァーされています。細野さんのアレンジは筒美さんのそれを最大限リスペクトしています。

10.女になって出直せよ/野口五郎(作詞:阿久悠 編曲:船山基紀)1979
新御三家のなかで最もミュージシャン志向が強かったのが野口五郎さんでした。筒美さんはデビュー当時に「青いリンゴ」、「オレンジの雨」など野口さんの歌唱力を生かした、ソウルフルな歌謡曲を提供していましたが、野口さんが自ら好きなギターを弾きながら歌うこともあり、78年に当時流行っていたAOR・フュージョンのアプローチで「グッド・ラック」を書き下ろします。この路線は「真夏の夜の夢」そしてコンテンポラリーなドライブ感のあるこの曲へと続きます。その時代に流行っている音楽を取り入れて自らのものとし、さらにそれを歌い手のキャラクターに合わせて生かすということについては、筒美京平の右に出る人はいないのではないでしょうか。

80年代初頭にマッチの「ギンギラギンにさりげなく」がヒットしましたが、その約1年前にQuincy Jonesの「愛のコリーダ」がヒットしていました。その両方とも当時リアルタイムで聴いていたのですが、筒美さんが「愛のコリーダ」を取り入れてこの曲を作ったということについ最近まで気がつきませんでした。私の拙い耳は同時期にヒットしていたこの二つの曲を長いこと全く別のものとして捉えていました。アイドル歌謡のマッチとジャズ・ミュージシャンのQuincy Jonesとはジャンルがかけ離れていて結びつかなかったのでした。でも筒美さんは「愛のコリーダ」のモチーフを近藤真彦に持ってくるということを軽々とやってのけていました。筒美さんの作曲家としての凄みに気付かされた瞬間でした。音楽にジャンル分けやカテゴリーというのは意味はない、音楽は音楽でしかないという当たり前のことを教えてくれました。
決して歌手の前に出ることなく、ひたすら裏方に徹した偉大な作曲家でした。ご冥福をお祈りいたします。

Kyohei “Jack Diamond”Tsutsumi – May 28, 1940 - October 7, 2020 rest in peace

(Kazumasa Wakimoto)

シェアする facebook twitter
Copyright (c) circustown.net