2020.10.18
筒美京平のマイ10曲 筒美京平のマイ10曲
筒美京平

(2020)

筒美京平さんには「積分値で一番お世話になった」と友人が評していましたが、全くその通りです。自分は京平さん、いや作家全般を意識する前から氏の影響を受けていたと思いますし、無意識のうちに影響をくれた最大級の存在が筒美京平かもしれないと感じています。

筆者自分の体験として影響を受けた曲、ベスト10を書き出してみました。なにせ「積分値」なので70年代前半の曲が多くなりました。これらは youtube などでも気楽に聞けますが、ぜひお持ちのレコードCDやストリーミングで聴いてください、アレンジ・音圧とも驚かされます。(ここにあげた曲は特記以外はアレンジも京平さんです)


1. 雨がやんだら / 朝丘雪路 (詞 なかにし礼) 1970年10月

「雨がやんだら お別れなのね」
このフレーズ、いったい何度ハナ唄してしまったことか。それこそ雨が降るたびなのですが、子どもに意味などわかるはずもないのに。


2. また逢う日まで / 尾崎紀世彦 (詞 阿久悠) 1971年3月

これぞ完璧な、一分の無駄もない楽曲。

「ふたりでドアをしめて ふたりで名前消して その時心は何かを話すだろう」
#「心が何かを放つ」と間違って覚えていました。
この曲はアレンジ録音共に超絶優れているのですが、テレビの歌番組で受けていた印象とも変わらないのですよね。テレビもすごかった。


3. さらば恋人 / 堺正章 (詞 北山修) 1971年5月
4. お世話になりました / 井上順之 (詞 山上路夫) 1971年9月

マチャアキと井上順之です。当時元スパイダーズとかも知らず、お茶の間の人気者の曲として聴いていました。

「いつも幸せすぎたのに 気づかない 二人だった」
涙から明日へ も京平さんだと思っていたら山下毅雄だった(すみません)。

「明日の朝この街を ぼくは出てゆくのです」
本当に、お世話になりました。お世話になったとはこのことです。間奏がサザエさんです、いま聴くと。


5. 17才 / 南沙織 (詞 有馬三恵子) 1971年6月

「走る水辺の まぶしさ 息もできないくらい」
何かの奇跡です。この世のものとは思えない。なお、とってもいい子なアッキーがいまテレビでみれてうれしいです(すみません、立派な紳士に向かって)。


6. わたしの彼は左きき / 麻丘めぐみ (詞 千家和也) 1973年7月

「あなたに合わせて みたいけど 私は右きき すれちがい」
この麻丘めぐみのシングルは、筆者が幼少のみぎりに親にねだって買ってもらったもののようです。この曲だけは、今聴くとすこしむずむずします。恥ずかしいわけじゃないんですが、好きだったんですね。


7. 木綿のハンカチーフ / 太田裕美 (詞 松本隆 編 萩田光雄+筒美) 1975年12月

永遠の胸キュンの曲ですが、松本隆のライブ『風街レジェンド』(2015)でも太田裕美さんの登場でも感動で倒れそうになりました。

「恋人よ 半年が過ぎ 逢えないが泣かないでくれ」

「いいえ あなた 私は 欲しいものはないのよ」

この曲の太田裕美の歌唱の男性部と女性部のどちらが好きかということの結論がいまだ出ません。


8. シャワーな気分 / 田原俊彦 (詞 三浦徳子 編 大村雅朗) 1983年5月

筒美京平氏の逸話で、レコードをLP盤の外側から1曲づつ針を落としてはスキップする聴き方(速聴ですね)というのがありました。当時といってもトシちゃんの前だったと思いますが。いまや自分もCDでやってます。ストリーミングならチェンジあたりまえですよね。。

「だけ だけ 君だけが好き」
筆者も昔は「パクリ発見」とかいって無駄に興奮したこともあったのですが、「シャワー」は Queen の "Back Chat" という曲に《すごく似て》いました。その時どう興奮したのかというと、クイーンの同曲は、クイーンとして最低部類にだめな楽曲と(クイーンのロック派に)評されていたのですが、そんな曲まで京平さんは研究しているのかと驚いたのでした。そして、この曲の体験を通じて、引用がどうのということの深い意味を知ったのでした。


9. おれは怪物くんだ / 白石冬美 (詞 藤子不二雄) 1968年4月

最後に番外編的になりますが、怪物くんに最高に影響を受けていました。もちろん京平さん作とは知らずに。

「ドカバカボカボン」
ここの旋律はいまだに不思議感がぬぐえない自分にとって謎の魅惑のメロディーです。


10. セクシー・バス・ストップ / Dr.ドラゴン & オリエンタル・エクスプレス (INST.) 1976年3月

もう一つ番外編です。ディスコねらいのインストで、メンバーは、林立夫、後藤次利、矢野顕子、鈴木茂です。当時知りませんでした。ディスコは1978年の「ナイト・フィーバー」フィーバーまで筆者の人生になかったので。しかし最近とても衝撃を受けているのです。

なぜ驚いたかというと、大滝詠一の「ナイアガラ音頭」と1976年3月ほぼ同時発売なのです。筒美京平と大滝詠一がビクターとコロムビアで同時に和風ディスコを手がけていたのです。リズムパターンも一緒です。すごい人たちはすごいことでシンクロします。

Dr.ドラゴンとは辰年生まれの京平さんです。その一回り下には龍一教授がいます。筆者はさらに一回り下なので、ドクタードラゴンのお名前を、僭越ながら密かに狙っています。



つまらぬ体験の披露を失礼いたしました。選んで驚いたのですが、作詞家が全て違う。「ブルーライト・ヨコハマ」を選べば橋本淳が入って完璧だったのですが、この曲の自分への影響はメタ過ぎて外してしまいました。「セクシー・バス・ストップ」の浅野ゆう子バージョンは橋本先生の作詞になります。

掲出のジャケ写は『HITSTORY/筒美京平 ULTIMATE COLLECTION 1967〜1997 Vol.1』(1997)のもので、トシちゃんと怪物くん以外は、4枚組に収録されています。現在 Vol.2 と合体の『2013Edition』が出ています(その後もリアルタイムでヒット曲が増えたので1枚増えて都合9枚組に)。聴き飽きません。

(たかはしかつみ)

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