2020.06.14
フレディ もしくは三教街 フレディ もしくは三教街
グレープ

三年坂 (1975)

2020年6月11日、服部克久氏が亡くなった。1936年生まれ、83歳だった。山下家との関連では、"Smoke Gets in your Eyes" に代表される山下達郎『Season's Greatings』(1993) のアルバム半分を思い浮かべる。まりやは克久のアレンジで RCA 時代にも歌っているが、達郎と克久との共同作業は、まりやの「駅」「けんかをやめて」(1987) からである。1990年ごろに "The Christmas Song" 〜 "Have Yourself A Merry Little Christmas" のメドレーを録音したといい、その華麗なオケは『Season's..』を経て、克久自身も「会心の作」と振り返る まりやの「すてきなホリデイ」(2001) に到達する。「希望という名の光」(2010) のストリングスも克久の手になる。

筆者にとっての服部克久は「ゴージャスなテレビ音楽番組の人」であった。事実、彼はよくテレビに出演していたが、他方仕事がものすごく多いらしく、その仕事の全貌はよくわからなかった。それを助けてくれたのが2016年の日経新聞の貴重な連載「私の履歴書」であった。本稿はそれを書籍にした『僕の音楽畑にようこそ(服部克久、日経新聞出版社、2017)』からのほんの小さな抜き書き&感想文であることをお断りしておく(本、とても面白いです)。

克久の最初の仕事は、1959年のテレビの仕事で、ダークダックスのコーラス編曲だった。パリ留学から帰った直後である。それからはテレビの仕事が中心だったという。当時の音楽番組は、克久、宮川泰、前田憲男らの少数の音楽家で作られていたそうだ。1964年開始の「ミュージッフェア」は長寿で筆者もよく見た音楽番組であったが、当時は克久と前田の2人が編曲をしていたという。夢を見させてくれるテーマ曲は山本直純作曲、克久編曲だったそうだ。時代は下るが、あの「ザ・ベストテン」のテーマ曲も克久の作編曲である。

克久が歌謡曲、特にニューミュージックと呼ばれるジャンルの歌手のアレンジをし始めるきっかけはどのようなものだったか。克久は布施明や森山良子のデビュー曲をアレンジしている。克久は1960年代後半にビクターの専属だったこともあるそうで、テレビ局でもレコード会社でも歌手たちをサポートしていた。

君に涙とほほえみを / 布施明 (1965)

この広い野原いっぱい / 森山良子 (1967)


布施明のデビュー曲は、有名なボビー・ソロのカバーである。布施の歌唱は既に魅力的で、このアレンジは山下達郎のカンツォーネ「忘れないで」(2004) とどっちがいいだろうとファンはおおいに迷ってしまう。森山は彼女がビクターの傘下のフィリップスからデビューだった。意識して聞くと服部ストリングスが聞こえる(筆者はうかつにもこの著書で編曲を知りました)。

克久は、アレンジにとどまらずステージの音楽監督を数多く勤めている。ザ・スパイダーズ (60年代後半)、五木ひろしのラスベガス公演 (70年代後半)、山口百恵の引退公演 (1980)、また、ヤマハの世界歌謡祭ではミシェル・ルグランに日本のビッグバンドの指揮をする企画 (1971) まで成功させたという。レコード盤上の服部克久音楽は、筆者はさだまさしに教えてもらったのではないかと思う。グレープの解散コンサートの音楽監督も克久が勤めている。

フレディもしくは三教街 - ロシア租界にて - / グレープ (1975)

さだ作のこの詩の舞台は中国は漢口で(いまでいう武漢なのだが)、この曲が収録されたライブ盤はよく聴いた。ちなみにギターが松木さん、ドラムがポンタ、ベースが岡沢章、そこで克久さんが指揮をして、さだまさしが歌っていたのだ。さだと克久の共同作品としては他に、さだが「関白宣言」の少し後に出した『印象派』という力作もある。

本日(6月14日)の山下達郎のサンデーソングブックでは "Forever Mine" (2005) が「おうちカラオケ」で紹介され、エンディングの長いスキャットに何よりもの追悼を感じた。心よりご冥福をお祈りしたい。

(たかはしかつみ)

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