2018.02.08 - Songwriter
Big Wide World Big Wide World
Teddy Randazzo - Songwriter

(1962)

(BRUTUS 2018年2/15号No.863[山下達郎のBrutus Songbook]で Teddy Randazzo が見開き2ページで取り上げられました!。日本国内でもうこんなことは2度とないので〜)

Songwriterシリーズ、
今回から Teddy Randazzo を3回に分けて取り上げてみたいと思います。

Teddy Randazzo についてはSSBでは1999年5月30日「Teddy Randazzo 特集」、2004年2月8日と2月15日の2回「Teddy Randazzo 追悼特集」で取り上げられたことがあります。

まず、Teddy Randazzo の簡単なバイオから。
Teddy Randazzo は1935年ニューヨーク、ブルックリン生まれ。イタリア系移民の一家に生まれ、幼い頃からピアノに触れて育ったようです。
1950年ごろにブルックリンで結成されたグループ、The Three Chuckles はギター、ベース、アコーディオンで構成されたトリオのラテン調ロックン・ロール・グループでしたが、1950年中期にアコーディオン演者がグループから抜けたため、Teddy Randazzo が途中加入することになります。
1955年にはグループのために "Still Thinking Of You" を提供、シングルのB面に収録されます。当時、The Three Chuckles は人気を博し、The Ed Sullivan Show 等に出演。Teddy Randazzo はルックスも良かったため、ディスクジョッキーの Alan Freed らの勧めもあり、グループから抜けてアイドルスターの道に進みます。
ティーンズ向け映画、『女はそれを我慢できない』(1956)、『Rock, Rock, Rock』(1956)『Mister Rock and Roll』(1957) 『Hey, Let's Twist!』(1961)等に出演。
当時の出演したフィルムを観てみたいと思います。

"Thanks To You" From Movie"Rock, Rock, Rock"(1956)

Teddy Randazzo - I Was The Last One To Know (Alan Freed's Mister Rock and Roll)(1957)

同時にレコードも次々とリリース。しかしその頃の多くの楽曲は他の職業ソングライターから提供を受けたもので、楽曲制作そのものには殆ど関わっていません。1960年には、Barry Mann-Howard Greenfield 提供による、"The Way Of A Clown" がヒット。このB面には、Teddy Randazzo が Cynthia Weil が共作した "Cherie" が収録されていました。

1959年、ソングライター、Bobby Weinstein と共作した "Pretty Blue Eyes" を Steve Lawrence に提供しヒットとなります。1960年初頭には Steve Lawrence 以外に、 Brook Benton、Jerry Butler‎、LaVern Baker などにも楽曲を提供。
ソングライター、Bobby Weinstein の詳細については第2回目に取り上げます。

このようにアイドルスターを続けながら、徐々に曲書きに重心を置くようになっていくのですが、1960年、Steve Lawrence や Eydie Gorme のレコードプロデュースを手掛けていた プロデューサー、アレンジャーの重鎮、Don Costa は自身がプロデュースすることになった The Clovers のシングル "One Mint Julep" (作詩曲は Rudolph Toombs という人)のアレンジの仕事を Teddy Randazzo に依頼します。
Teddy Randazzo はアレンジャーとしてその仕事をしっかりやり遂げ、Don Costa の信頼を勝ちとります。Teddy Randazzo と Don Costa は元々、Teddy Randazzo が ABC-Paramount ‎Records でシングルをリリースした時代からの知り合いでした。この頃から Don Costa プロデュース作品、Paul Anka などの作品でアレンジャーとしての仕事が増えていくようになります。
アイドルスターが同時にアレンジャーとして仕事をこなしていくのはかなり珍しくちょっと他に例がないと思います。

1964年、ABC-Paramount ‎Records から離れた Don Costa は新たに DCP International を発足します。その DCP Records に Teddy Randazzo も参加。かつて、"Tears On My Pillow" のヒットを持つ、Little Anthony & The Imperials が End Records から DCP Records に移籍。その Little Anthony & The Imperials を Teddy Randazzo が全面的に担当します。

以降、1960年代に入ってからの Teddy Randazzo の作品を聴いていきたいと思います。


Big Wide World(Barberis-Weinstein-Randazzo) / Teddy Randazzo(1962)

1962年、Colpix Records からリリースした "Big Wide World"。アイドル時代にリリースした最も後期の作品でシングルチャートで51位のヒットとなりました。
初期の作品では特に大好きな曲で、心に染みて何度も聴いてしまいます。


Goin' Out of My Head(Weinstein-Randazzo) / Little Anthony & the Imperials(1964)

1964年、Billboard Hot 100 の6位を記録。その後、この曲を取り上げるミュージシャンは数知れず。"I'm on the Outside (Looking In)" に続くヒット。この2曲で Little Anthony & the Imperials は復活を遂げました。


Make It Easy On Yourself(Meshel-Weinstein-Randazzo) / Little Anthony & The Imperials(1964)

先の "Goin' Out of My Head" のB面収録曲ですが、今では誰もが知っている曲。メンバーのコーラスだけでなく女性ボーカルを登用し、柔らかくロマンティックです。


You Better Go(Weinstein-Stallman-Randazzo) / Derek Martin(1965)

1965年、Roulette Records からリリースされた作品。‎Derek Martin という人は、かつて The Pearls というボーカルグループに参加していた人。アルバム制作までは至らなかったのですが、Teddy Randazzo は Derek Martin とは1973年までずっとシングル制作に付き合っています。冒頭の静かな女性ボーカルの声がいいです。


You Don't Need A Heart(Hart-Randazzo) / Teddy Randazzo(1965)

1965年、DCP Records からリリースした Teddy Randazzo 自身のシングル。
後に Little Anthony & The Imperials でも取り上げられました。共作者は ソングライターチーム、Boyce and Hart で知られる Bobby Hart 。Teddy Randazzo らしい情熱的でダイナミックな曲です。


*写真は The Three Chuckles。右が Teddy Randazzo。


2回目に続く。




(富田英伸)




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