2017.03.26
お先にどうぞ お先にどうぞ
かまやつひろし

あゝ!我が良き友よ (1975)

2017年3月1日にかまやつひろしさんが78歳で亡くなりました。直後の3月5日のサンデー・ソング・ブックで急遽追悼が組まれたのも記憶に新しいところですが、かまやつひろしさんの偉大な足跡を、追える限りではありますが振り返ります。

かまやつひろしは1939年東京に生まれます。誕生は第二次世界大戦勃発前、終戦は小学校1年で迎えるのですが、少しだけ戦前のジャズに話を戻します。


戦前のジャズ

  • 1937 別れのブルース / 淡谷のり子
  • 1939 かまやつひろし誕生

かまやつひろしの父親は、ジャズ・ミュージシャンのティーブ釜萢。日系二世として1911年ロスアンゼルスに生まれます。成人した父釜萢は当時ニューヨーク発の大恐慌の影響で移民が働きにくい状況下、ジャズの仕事を求めて来日します。釜萢は歌手・ギタリストで、「別れのブルース」時代の淡谷のり子のバックをしていたとのこと。こんな時代に、かまやつひろしが誕生します。ちなみに似た境遇だったのがトランペッターの森山久。ほぼ同時代に来日し、東京で釜萢と知り合い釜萢の妻の妹と結婚することで釜萢と義兄弟の関係に。森山に生まれたお嬢さんが森山良子です。


デキシーランドジャズとトランペット
  • 1951 Bix Beiderbecke の映画『情熱の狂想曲』〈かまやつ12歳〉
  • 1953 Louis Armstrong 来日公演〈14歳〉

かまやつ少年、中学に入るころはデキシーランドジャズの虜に。音楽界はトランペッターが花形の時代。サッチモと Bix Beiderbecke が大人気で、南里文雄とホットペッパーズを子供ながらに銀座に観に行った記憶もあるとのこと(ドラムはハナ肇?)。この時期のかまやつ少年は叔父の森山久に買ってもらったトランペットで Chet Baker を目指していましたが、ジャズ・ミュージシャンは流石のかまやつ少年でも敷居が高く、そして出会うのがカントリー・ウエスタンでした。


カントリー・ウエスタンと米軍キャンプ回り
  • 1951 映画『黄色いリボン』〈12歳〉
  • 1952 テネシー・ワルツ / 江利チエミ〈13歳〉
  • 1954 高校入学〈15歳〉

かまやつは中高と青山学院でしたが、さかんだったのがカントリー・ウエスタン。かまやつは友達に誘われて、米軍キャンプ回りをします。当時新宿駅近くに楽器置き屋みたいなものがあり、そこに行くと手配師がやってきて、軍用トラックで各地のキャンプに連れて行かれ演奏する。かなり割のいいバイトだったようです。米軍キャンプでかまやつは経験をつみ腕を磨きます。


ロカビリー・スター
  • 1956 ハートブレイク・ホテル / 小坂一也〈17歳〉
  • 1958 小坂一也とワゴンマスターズの一員として浅草国際劇場出演〈19歳〉
  • 1958 井上ひろし、水原弘、かまやつヒロシ 第2回日劇ウエスタン・カーニバルに出演〈19歳〉
  • 1959 映画『青春を賭けろ』『檻の中の野郎たち』に出演〈20歳〉
  • 1960 シングル「殺し屋のテーマ」でレコードデビュー〈21歳〉

かまやつがはじめて入ったプロのバンドが小坂一也とワゴンマスターズでした。1958年までには参加しています。話はそれますが、小坂はカントリー・ウエスタンの大スターでしたが、エルビスの登場を受けロカビリー・スターになり、同時期に「青春サイクリング」(サイクリング、ヤッホー♪)ですから何が何やらわかりません。この時代のスピード感、あるいは歌謡曲的なごった煮感にくらくらします。かまやつもあっという間にその流れに乗り、同年の日劇ウエスタン・カーニバルで「三人ひろし」として売り出され、1960年にテイチクからレコードデビューもはたします。


スパイダース
  • 1965 フリフリ / 田辺昭知とザ・スパイダース
  • 1966 The Beatles 来日公演
  • 1967 恋のドクター / ザ・スパイダース
  • 1968 あの時君は若かった / ザ・スパイダース
  • 1970 エレクトリックおばあちゃん / ザ・スパイダース

ザ・スパイダースは1960年代はやくに結成され 1964年までに田辺昭知 (ds)、加藤充 (bs)、かまやつ (gt)、井上孝之 (gt)、大野克夫 (org) のファイブ・リズムと堺正章、井上順のツインボーカルのスタイルが完成します。「演奏はタイト、MCはコミカル」とはサンソンでの達郎さん評です。活躍はいわずもがな。かまやつは上記4曲を含む多くのヒット曲の大半を作曲しています(時には作詞も)。『日本のパンクなロックンロールの草分け、ロックンロールの黎明期で突き抜けた活動をしていた』(山下達郎)ということがよくわかります。

70年代〜ソロとプロデューサー

筆者個人の体験ですが、ここでようやくスパイダースの時代に追いつきまして、国民的ドラマ『時間ですよ』のマチャアキの「涙から明日へ」が大好きでした。井上順の「お世話になりました」が同日発売 (1971.9.25) ということを知りびっくりしているのですが、マチャアキの「さらば恋人」もあわせて大人気でした。かまやつも『時間ですよ』に出ておりまして、彼の『釜田質店』というアルバムタイトルはドラマから来てたのかと感心しております。翌72年は井上堯之(孝之)バンドが『太陽にほえろ!』のテーマを担当、作曲は大野克夫とスパイダース勢大活躍です。

かまやつの70年代は「どうにかなるさ」から始まります。大ヒットは「我が良き友よ」まであったんだかなかったんだかという世界ですが、そこまでも色のある活動をしています。アラン・メリル(母が Helen Merrill で、"I Love Rock'n'Roll" の作者)にグラムロックを教えたり、ユーミンのデビュー曲のプロデュースをしたり、テレビドラマ『走れ!ケー100』や、テレビアニメ『ギャートルズ』への曲提供などなど、あちこちでお世話になっておりました。


ここまででようやく20年です。かまやつさんの芸歴はここからさらに40年。。。
それでは中締めとして、大滝詠一・山下達郎コンビがサポートしたこの曲を。

お先にどうぞ / かまやつひろし (1975)

本稿を書くにあたり、2017年3月5日の『サンデー・ソング・ブック(かまやつひろし追悼特集)』、2002年2月16日の『スピーチ・バルーン(かまやつひろしと大滝詠一の対談)』、および各種CDの解説等を参考にしました。

かまやつひろしさんのご冥福をお祈りします。

(たかはしかつみ)




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