2016.01.12
Unforgettable Unforgettable
Natalie Cole duet with Nat King Cole

Unfogettble With Love (1991)

生まれながらにして何かを背負っている人生というのは一体どういうものなのだろうかと、Natalie Coleの訃報に接して思いを馳せた。
偉大なジャズ・シンガー、Nat King Coleの娘。そのことが彼女の人生に与えたものと奪ったもの。

同じように大スターを父に持つNancy Sinatraが父親の後ろ盾を得て華やかにショービズ界を歩いたのとは対照的にNatalie Coleは父の威光というのを意識的に避けてきたように見える。
Nancyは十代の頃には既にこの世界に身を置き早くからアイドル歌手として活動していたが、Natalieが本格的にレコードデビューしたのは1975年、25歳と遅咲きのシンガーであった。それは父のNat Coleが亡くなったのが、彼女が多感な15歳の頃であったということも理由にあるのではないか。

Nat Coleは45歳で肺がんを患い早逝したが、亡くなる直前に最後のヒット曲「LOVE」を残している。Natが歌手として最も脂が乗っていたのは50年代であったが60年代に入り40歳を超えてもヒットを放ち、これから円熟味を増した歌手としての活躍が期待されている頃でもあった。
それだけに思春期の彼女は父の死を一層複雑な思いで受け止めたのではないか。大学に進学して心理学を学ぶなど、一時期音楽から距離を置いた背景には大スターだった父が志半ばにして病に倒れてしまったことの意味を自分なりに消化する時間が必要だったのではないか、そんな気がしないでもない。そして何よりその”Nat King Coleの娘”という呪縛・・・。

だから彼女はデビューする時に、ジャズを選ばなかった。Chuck JacksonとMarvin Yancyのプロデュースでソウル・シンガーとして「This Will Be」という曲でデビューしこの曲がグラミー賞を受賞するヒットとなった。Aretha Franklinを彷彿とする溌剌としたシンガー、それがデビュー当初の彼女のポジションだった。

あえて父とは違う道を選んで順調なスタートを切ったのだ。でもそれは父が選ばなかった道でもある。だからかどうかは分からないけれど、彼女の歌からはArethaから感じるようなダイナミズムが今一つ感じられないような気が僕にはしていた。純粋に彼女自身が選び取った道ではないのではないか。だから僕は熱心な彼女のリスナーではなかったと思う。

自らが選んだ道が決して間違いではなかったことを一旦は示したかのように見えた。
けれども80年代に入り、ヒットから遠ざかるとドラッグに溺れる。また、そのことがきっかけとなってC型肝炎を患ってしまう。不慮の事故で息子を失うという悲劇もあった。度重なる不運が彼女を第一線の舞台から遠ざける。生き馬の目を抜くようなショービズ界で生抜いていくにはあまりに繊細で生真面目な人だったのではないか、不器用な人だったのではないか、そう思えてくる。

精彩を欠いた80年代を過ごし91年に突如として、父、Natのカヴァー・アルバムを制作する。『Unforgettable』。

ここで、彼女は在りし日の父と初めてデュエットを果たす。50年代初頭に録音された父の歌に重ねられたデュエットはドラマティックに父からの呪縛を解き放った瞬間だった。そして、偉大なジャズ・シンガーNat “King” Coleと互角に渡り合う彼女の歌はまごうことなきNat Coleの娘だったからこそなし得たものだった。

選ばれなかったであろう人生のことを思わずにはいられない。偉大な父を持たなければ彼女にはまた趣の違った人生があったに違いない。詮無いことだが父を背負っていなければ、もう少し長生きができていたかもしれない。でも、その父をいつしか正面から受け入れ、残してくれた歌はこうして残る。
今頃父の懐に抱かれて仲良く歌っているのだろうか。

"Unforgettable" Natalie Cole – Feb 6,1950 - Dec 31, 2015 rest in peace



今日の1曲


(Kazumasa Wakimoto)




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