2015.11.04 [Songwriter]
Mighty Clouds of Joy Mighty Clouds of Joy
Buddy Buie [Songwriter]

(1971)

SSBで、アメリカ南部で活動していたソングライター、レコードプロデューサーの Buddy Buie が2015年7月18日亡くなったことを知りました。僕も Buddy Buie も好きでこれまでの Buddy Buie の業績を振り返るとともに僕の好きな曲をいくつか紹介したいと思います。

Buddy Buie はフロリダ州1941年生まれで、若い頃からアトランタで音楽活動を開始したそうです。 1964年、William Gilmore と共作で、Tommy Roe に書いた "Party Girl" が小ヒットを記録。

1965年にシンガーソングライターの Bobby Goldsboro ‎と "Pity The Fool" を共作。Bobby Goldsboro は当時、Roy Orbison のバックでギターを弾いており、Buddy Buie はその縁で、Roy Orbison のロード・マネージャーとなります。その頃、Roy Orbison のバックバンドを務めていたのは The Candymen というグループで Buddy Buie にとってこのグループとの出会いが大きな転機となります。Buddy Buie は The Candymen に "Georgia Pines" (1967) 、"Ways" (1968) を提供。このグループが後の Atlanta Rhythm Section に繋がっていく訳ですが、The Candymen に在籍したのが、その後多くの曲を共作することになる James Barney "J.R." Cobb でした。

"J.R." Cobb はハイスクール時代の友人と共に The Emeralds というバンドを組んでいたのですが、そのバンド名が The Emeralds から The Classics を経て、リードシンガー、Dennis Yost が参加した頃には Classics IV となります。Buddy Buie と "J.R." Cobb は Classics IV をこれまでの明るいスタイルのバンドから Dennis Yost の深みのあるボーカルの特長をうまく引き出して、しっとりとしたサウンドスタイルに変身させ、セールス的にも成功を収めます。

Buddy Buie は1970年代になるとアトランタ周辺で活動していた Lynyrd Skynyrd や The Allman Brothers などいわゆる"サザン・ロック"と言われたグループの成功を睨んで、1971年に The Candymen と Classics IV が母体となって、 Atlanta Rhythm Section が結成されることになります。"J.R." Cobb も翌年、Atlanta Rhythm Section に参加しています。

Buddy Buie が書いた曲で中で僕の特に気に入っているナンバーを数曲、紹介。

Stormy (Buie-Cobb) / Classics IV (1968)
Classics IV の楽曲、"Spooky"、"Midnight"、"Traces" など雰囲気あるしっとりした曲がたくさんあるんですが、1曲を選べと言われたらこの曲でしょうか。 "J.R." Cobb のギター(たぶん)、Dennis Yost のしゃがれたボーカルがいいです。

Something I'll Remember (Buie-Cobb) / Sandy Posey (1968)
ナッシュビル中心で活動していた女性シンガー、Sandy Posey。The Joe South production がらみで、Buie-Cobb が曲を提供しています。"Silly Girl, Silly Boy" のB面としてリリース。

Mighty Clouds of Joy (Buie-Nix) / B. J. Thomas (1971)
Buddy Buieは B. J. Thomas にこの曲と "Most of All" (1970) を提供していますが、いずれもSteve Tyrell と Buddy Buie との共同プロデュース。Steve Tyrell は当時 Sceptor のまだ若いプロデューサーですが、顔が広いですね。
この曲は Buddy Buie が残した数ある楽曲の中でも最も好きな曲です。

(写真は左が "J.R." Cobb、右が Buddy Buie の若き頃です)

(富田英伸)




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