2014.11.01 竹内まりや 33年ぶりの全国ツアー記念
souvenir again 2010.12.3 日本武道館 souvenir again 2010.12.3 日本武道館
竹内まりや

Mariya Takeuchi Live (2010)

「女の一生」といった類いの言葉、およそまりやさんには縁がないと思っていましたが、武道館のコンサートが終わって感じたことがこれ。僕にとって10歳年上のお姉さん。僕が中学のときデビュー、高校の時はもう結婚しちゃって、大学に入ると達郎とともにアーチストとして復活してきたのですが、その後の活躍は人もうらやむシンガーソング主婦。ただただ素敵だったわけです。

結婚後はラジオで達郎に主婦っぽい話しをしていることもありましたが(ヨード卵がどうしたとか)、むしろそれは「私にも所帯じみた感じがあるのよ」っておどけているかのよう。まりやさんから「女の一生」は思いつきませんでした。

今回のコンサートは「人生の扉」を聴くことがテーマであることは明らかでした。しかし、まさかここまで「人生の扉」を順番に開けてくれるとは予想しませんでした。

武道館と大阪城4公演の初日の前座は杉真理率いるBOX。杉さんは大学時代の想い出をおずおずと語られていましたが、それに導かれるようにまりやさんはいろんな話しを時系列に語りました。

2曲目、ビートルズにあこがれていた少女が、ビートルズの立ったステージで歌う「マージービートで唄わせて」。学生時代に好きだった、渋谷のヤマハで観たシュガーベイブ。大学での音楽活動。4曲目は遠い記憶がよみがえる「象牙海岸」。そしてアイドル歌手との決別を歌った6曲目「僕の街へ」。ここまでで、竹内まりや26歳の扉を一気に「再開」します。

しかし4曲目の「象牙海岸」ではや泣かせてしまうとは思わなかった。声の調子が?いや、あれはこみ上げるものがあったんです。難波さんのピアノのイントロも良くなかったけど、僕たちの想いがステージに届いたんです(僕の席は2階の上の方だったので、関与の程は知れているのですけど)。この想いは最後にステージから僕たちに「倍返し」されるのですが。

その後は、ヒット曲、代表曲をていねいな歌唱で客席を魅了。大学時代の仲間である安部恭弘の手による8曲目「五線紙」、楽曲の完成度の高さをみせつける12曲目「プラスティック・ラブ(達郎さんひかえめver)」。ライブが待ち遠しかった最近の代表曲13曲目「チャンスの前髪」。曲間ではとても落ち着いた言葉が、かみしめるように語られ、その感謝から現在の充実した生活がうかがわれます。元々僕はまりやさんの語る声が生理的に好きなのですが(おしゃれフロックとかいうラジオ番組がありました)、この晩は何か神々しいものを感じました。

ステージは杉真理の14曲目「J-BOY」をへて、本編最終曲の「人生の扉」に向かいます。達郎バンド渾身の演奏。武道館の全員がかたずを飲む瞬間。その全てを受け止めたまりやさんの歌唱に、僕たちは不覚にも、いや期待した通りに涙しました。これ程ストレートで謙虚な人生賛歌に出会えた幸運。竹内まりや50歳にしての傑作、この曲を聴くために、僕たちは武道館に駆けつけたのですし、この曲を聴くために竹内まりやを聴いてきたのです。

アンコールではMの字セーターで(よく着るよ!とても似合ってたよ)、クリスマスプレゼント「すてきなホリディ」、ロックンロールお年玉「アンフィシアターの夜」、そして「September」と「ピーチパイ」をプレゼントしてくれました。

しかし、このコンサートはこれだけでは完結していませんでした。「いのちの歌」。NHK連続テレビ小説「だんだん」の終盤で、劇中バンドのシジミジル、すなわち茉奈佳奈たちに歌われたこの曲がもって来られるとは。「Miyabiというペンネームで私が書いた詩です」とまりやさんから秘密が明かされたことにはびっくりしました。「だんだん」はテーマ曲とまりやさんのナレーションが聞きたくて毎日見ていたのですが、すっかりドラマにはまってしまいました。そのドラマをストーリーを完結させたのがこの「いのちの歌」。島根から全国に羽ばたいたドラマのヒロインが、アイドル歌手に別れを告げるときに歌った筋書きは、「僕の街へ」の写しであるようで、また次世代への希望を託すメッセージは「人生の扉」の続編とみることもできます。この曲を最後にピアノで弾き語ることで、「人生の扉」が幾重にも、立体的に深く心に刻まれました。

ささやかすぎる日々の中に かけがえない喜びがある
生まれてきたこと 育ててもらえたこと
出会ったこと 笑ったこと
そのすべてにありがとう
この命にありがとう

(たかはしかつみ)

シェアする facebook twitter
Copyright (c) circustown.net