2014.05.30 - 追悼大瀧詠一
実年行進曲 実年行進曲
ハナ肇とクレイジーキャッツ

Single (1986)

昔、国鉄が民営化された時に国電を「E電」と呼ぼうという運動がありました。結局定着しないまま今や大抵の人は単に「JR」と呼んでいると思います。
なぜE電が定着しなかったのかは謎だけど、なんとなくゴロが悪いからかな。

新しい言葉や呼称を作っても定着しないというのはよくあることのようで、かつて中年とか老年の代わりに作られた「実年」という言葉も一般には浸透しないままに死語と化した言葉でした。
この呼称は当時の厚生省が85年に公募して採用した50〜60代を指すお役所言葉のようで、どことなく役所のやることの末路という感じがしなくもありません。今は一般にはこの世代は「シニア」なんて呼ばれてるのかな。
とっくりはタートルネックにチョッキはベストに・・・。

「実年」を国が呼称として発表して間もなく、当時まさに実年世代であったハナ肇とクレイジーキャッツが「実年行進曲」というシングル盤をリリースしました。

今まで散々老人扱いしてきたくせに、勝手に実年なんて言葉に置き換えやがって、看板付け替えりゃいいってもんじゃないぞ、ならばこの世代の元気を見せてやれとばかりに、久しぶりにメンバーが一同に揃ってリリースされたこのシングルはグループ結成30周年を記念する曲でもありました。
元気で勢いがあって、しっかり世相を皮肉って30年目のクレイジーここにあり!これが実年のパワーだとばかり面目躍如のマーチ。

クレイジーがヒットを連発し、舞台や映画に引っ張りだこだったのは、日本が右肩上がりに成長を続けていた時代。まだまだ貧しかったけど皆が希望を持って前を向いて歩いていました。
バブルに踊りリーマン・ショックや震災も経験して、失われた20年などと言われるような時代を過ごしてきた我々の時代は閉塞感ばかりが漂っていますが、ハナさんのガハガハや植木さんの底抜けなポジティブさ、谷さんのとぼけた軽妙な感じなど、クレイジーの数々の曲を聴いていると知らぬ間に笑顔になって、明日もなんとかなるかなあなんて思えてきます。

さて、この曲の作詞は一連のクレイジー作品でお馴染みの青島幸男。そして作曲・編曲は大瀧詠一が担当しました。
クレイジー作品の殆どは作曲家で編曲家でもある萩原哲晶氏が手がけていますが、残念ながらこの曲がリリースされる2年ほど前に他界されています。
大滝さんはこの曲に「原編曲 萩原哲晶」とクレジットしました。
お元気であればきっと大滝さんは萩原さんにアレンジを依頼したのではないでしょうか。

クレイジーは大滝さんにとってはエルビスやビートルズと並ぶアイドルで「楽しい夜更かし」の歌詞にも登場しますし、実際歌詞の通りにラジオ「ゴーゴー・ナイアガラ」ではクレイジーの特集を組むほどの熱心なファンでした。
その理解と愛情は日本におけるクレイジー・ファンの第一人者と言っても過言ではないと思います。

「ナイアガラ音頭」やアルバム『Let's Ondo Again』に入っている曲の多くにはクレイジー・サウンドを支えてきた萩原さんから受けた影響を垣間見ることができます。

生前の萩原さんとも親交のあった大滝さんは、軽妙でコミカルでユーモア満載の楽曲を手がけきた萩原さんに敬意を表して、クレイジー10周年記念で製作された映画『大冒険』の挿入歌だった「大冒険マーチ」のアレンジを実質的に下敷きにしています。萩原さんの編曲ををもとにしつつ、大滝さんがかつてナイアガラ・レーベルの数々のコミック・ソングで磨いてきたアイデアを随所に盛り込んだナイアガラ・ノベルティ作品の集大成と言ってもいいかもしれません。

演奏は「ヤング大滝と実年マーチングバンド」。大先輩達の前でとても張り切っている大滝さんの姿が浮かぶようです。

長年のアイドルだったクレイジーと一緒に仕事ができて、萩原哲晶サウンドへの深いリスペクトを表現したこの曲は、自らが手がけたプロデュース作品として大滝さんにとって最も嬉しい仕事の一つだったのではないでしょうか。


今日の1曲

(Kazumasa Wakimoto)




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