2013.01.20
Think Think
James Brown

Live At The Apollo (1962)

去年の年末に買ったインディアナポリス出身のファンク・バンド、Rhythm Machineのアルバムを正月に聴いていたのですが、この手のファンク・サウンドってきちんと聴いてこなかった分野でもあってふと、今まであまり聴いてこなかった音楽を1年間通して聴いてみようと思い立ちました。不意にほとんど思いつきもいいところなんですが。
今年はファンクを聴いてみよう!・・・かなり安直です。

ファンクと呼ばれる音楽については正直言って門外漢。Sly StoneやP-Funk、Ohio Playersなんかの70年代ファンクのアルバムも何枚かうちにはあるのだけど、一部を除いて今まできちんと系統立てて聴いたことはありませんでした。それにしてもそもそも「ファンク」って何?
高校時代に使っていた古い英和辞書を引いてみるとFunkは「怖じけ、恐れ」などと書かれてあってちょっとネガティブな言葉です。一方Funkyはスラングで「野性味あふれる」とか「風変わり、とっぴな」などと書いてあります。風俗を感覚的に表した言葉なのでしょうけどなんのことだか今ひとつ分かりません。まあ、そんなとっかかりのところからして認識は「なんとなく」なんですね。

ピーター・バラカン氏の著書「魂のゆくえ」には"ファンク"あるいは"ファンキー"という言葉は英語でも極めて感覚的で非常に説明しづらいと書かれてあります。そもそも"ファンキー"と"ファンク"の違い(これについてはあとで考察しようと思います)は何なのか?まずもってそういうことからなんだか判然としません。
だいたいファンクはともかく、ソウルやR&Bだって説明しろと言われてもそれを的確に表現するのはとても難儀なことだと思います。我々日本人にとっては特に。
それは音楽のひとつのジャンルというものを超えてアフリカン・アメリカンの歴史と文化的な背景をきちんと把握していないと感覚的に理解できないところがあるからではないでしょうか。

それはかなりかけ離れた例えかもしれないのだけど、相当な日本食通のアメリカ人だって春先の新筍のえぐみだとか鯖のしめ具合の善し悪しなんていうのは分からないだろうなというのと同じくらいのもんじゃなかろうか、と思うわけです。・・・やっぱりかなり例えが変ですかね(笑)。

さて、どの辺りからファンクを聴いていくか・・・。
「ファンクの父」と言えば、"ゴッド・ファザー"James Brown。ファンクが彼から始まったことに異論を挟む人は少ないと思います。
James Brownその人と音楽を語るにはいくらスペースがあっても足りないほどですが彼の音楽については次回で少し触れるとして、まずはファンクの森に分け入るとっかかりとしてファンクの萌芽というか黎明期のサウンドを聴いてみましょう。

James Brownは自身、ライブ・パフォーマンスの方がスタジオ録音よりも優れているということに自覚的だったようで、当時まだ一般的ではなかったライブ盤をレコード会社の反対を押し切ってリリースしています。それがこの62年にアポロ・シアターで行われたライブの模様を収めた『Live At The Apollo』。
彼はステージの進行や展開、曲をどういうふうに演奏したら格好良くて、観客が興奮するかといった効果などを自分自身でマネジメントしていたといいますから、ライブ・パフォーマンスというものに対してかなり自意識を持っていたのだと思われます。
後の彼の十分に演出されたステージ・パフォーマンスを考えるとなるほどそれも頷けます。

このアルバムでの観客とのコール&レスポンスはゴスペルのスタイルそのものです。まだファンクというよりはいくぶんバラードよりですが、エキサイティングでスリリングな展開には後のスタイルを予見させるような熱が内包されていて当時の黒人たちの、歌を通した解放感というものが色濃く反映されているような気がします。
James Brownはきっと、そうした抑圧された人々が解放される時に放つ熱というものをライブでもってすくい上げて自分自身の表現の中に練りこんでいったのではないか、そんな気がしないでもありません。

今日の1曲


(Kazumasa Wakimoto)




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