森山良子

さとうきび畑

2002 " さとうきび畑 " Dreamusic MUCD-1054/CD





 先日、十数年ぶりに沖縄を訪れました。今年の沖縄は雨不足で私が訪れた時も梅雨の真っ只中だというのにきれいに晴れ渡っていて刺すような日差しはもう夏のそれでした。地元の方には深刻な水不足も梅雨時に訪れる観光客にとっては思いがけないプレゼント。さんさんと降りそそぐ太陽に一足早い夏を感じることができました。
 沖縄は今年、本土返還30年という節目の年にあたるそうです。その節目の年に沖縄を訪れることが出来たのも何かの縁。今回はビーチもリゾートもないもうひとつの沖縄を巡る旅となりました。そのような旅のきっかけになったのは、このほど10分にも及ぶ大曲「さとうきび畑」をシングル・リリースした森山良子さんの歌声を耳にしたことでした。
 作詞・作曲を手がけた寺島尚彦氏は本土返還前に沖縄を訪れた際、さとうきび畑に案内され、この畑の下に太平洋戦争末期の沖縄戦で犠牲になった方々の遺骨が、今でも眠っているということを聞いてこの曲を作曲したのだそうです。11番まで歌詞のある長いこの歌を森山良子さんは1970年から大切に歌い続け、今年初めてコンプリートな形でシングル化しました。その間夏になるとNHKの"みんなのうた"でちあきなおみさんの歌で繰り返し放送されたのをはじめ、様々なアーティストによって歌われたこの曲は、今年沖縄返還30年という機会を捉えてEPOらもカヴァー、静かな盛り上がりを見せています。


 夏の日差しの中、広いさとうきび畑を渡っていく風を「ざわわ」と表現し、この「ざわわ」が66回も繰り返されます。あのいくさで鉄の雨に打たれて死んでいった父。そのいくさが終わった日に生まれた私。お父さんどこにいるの。お父さんと呼んでみたい・・・。そのうちに沖縄に行ったら、ざわわと風が渡っていくさとうきび畑に自分も立ってみたいと思っていたところ、思いがけず早くそのチャンスが巡ってきました。
 沖縄本島南部の糸満市はかつての大戦で激しい陸上戦が行われたところ。その糸満の丘にあるさとうきび畑に立ちました。歌のとおりの夏の日差しがまぶしい日でした。風はないと思っていたのに畑に立つとさとうきびの葉が風に揺られて音を立てていました。「ざわわ」。これ以上はない表現に思えました。誰もいないさとうきび畑でその葉の音だけが聞こえるなかにひとり立っていると、不覚にも涙があふれてきました。とおいとおいむかし私が生まれるよりも、もっとむかしにここでいくさが行われたこと。多くのむくろが今もここに眠っていること。澄み切った空の下を風が渡っていくさとうきび畑に立っていると、私がここにいることの不可思議さと、ここに今何かの導きによって立たされているんだという思いが交錯しました。
 その後ひめゆりの塔を訪ね、この日が彼女たちの最期の日であることを知りました。摩分仁の丘に立つ平和の礎(いしじ)、本島最南端の喜屋武岬と巡る旅はもうひとつの沖縄の悲しい現実を今に伝えていました。
 11番まである長い歌詞と繰り返される「ざわわ」に森山さんは「最後までどうやって歌おうか、すごい葛藤があった。」と言います。しかし歌い続けるうちにいろいろと作為を施すよりもそのままを届ければよいのだということが分かってきたのだとも。自らのアコースティック・ギターで淡々と歌われていくこの歌にはその静謐さの分だけ、ざわわと風が通り過ぎるさとうきび畑の鮮やかな情景が目に浮かびます。戦争を知らない私たちに課せられたことを静かに教えてくれる祈りのような彼女の澄み切った歌声。
 祈りと誓い。今日(6月23日)沖縄は57回目の慰霊の日を迎えました。

(脇元和征)


写真:脇元和征



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