Jackson Browne

Lives In The Balance

1986 " Lives In The Balance " Asylum 60457-2/CD





 シンガー・ソングライター。さて誰を取り上げようか。できればまだ Music Book に登場したことのない人で、思い入れをもって取り上げられる人。10月はシンガー・ソングライター特集でいくことは早くから決まっていたけれども、あまりの間口の広さに誰を取り上げるか決めあぐねているときに、アメリカであの不幸な事件が起きてしまったのでした。
 それからの10日あまり、アメリカが持っていたある種の甘美な世界とか自信に満ちた繁栄が失われていくさまを見せつけられたような思いがして、CNNの画面から、大見出しの新聞から目が離せなくなってしまったのでした。21世紀が始まったのだと思いました。音楽もしばらくは聴く気になれなかったし、寸暇を惜しんでむさぼり読んでいた読みかけの娯楽小説も圧倒的なリアリティの前にはいかにも絵空事そのものでした。
 アメリカが世界に示してきた威信とか秩序とか余裕のようなものが大きな転換点に立たされている。そんな思いが明晰さを増しつつあるとき少し冷静になろうとして何となく、手にとったのが Jackson Browne のアルバムでした。そうだ、この人でいこう。きっと今の気持ちに一番近いアメリカのシンガー・ソングライター。そして取り上げるのはこの曲しかない。


アメリカは自由のために立ち上がる
われわれはどれだけ友人たちを救おうとしているか
けれどもわれわれが友達だと呼んでいるのはいったい誰のことなのか
政府はそんな仲間を殺しているんじゃないのか?
だから民衆は銃を持ち石を投げるんじゃないのか

 Jackson Browne は両親が軍人としてドイツに渡っていた1948年にハイデルベルグで生まれました。その後南カリフォルニアのオレンジ・カウンティーの新興住宅街で育った彼は、折りしもフォーク・ソング・ブーム全盛の時代に多感な時期を過ごすこととなります。 Peter, Paul & Mary やJoan Baez、Pete Seeger、Bob Dylan といった人たちに大きく影響を受けた彼はやがてギターを持ち、詞を書くようになりました。そんな頃に出会ったのが盟友の Steve Noonan や Greg Copeland といったハイスクールの仲間たちでした。クラブで出会った The Nitty Gritty Dirt Band のメンバーとして一時期活動をともにしたり、自ら自作の曲を披露したりしているうちに、Elektra の専属ソングライターとして本格的に音楽業界に足を踏み入れます。
 繊細で一見神経質そうな線の細い青年は、しかし信念を持ってトラディショナル・フォークでもない、プロテスト・ソングでもない、きわめて内面的で個人的な事象を捉えて歌にし、やがてシンガー・ソングライターとして本格的なデビューを果たすのです。

 そんな彼がしかし、80年代はメッセージ性のある作品を積極的に歌い始めました。それは長くシンガー・ソングライターとして一線で活躍してきた彼にとっては通るべき必然であったのかもしれません。あるいは時代の要請であったのかもしれないし、ミュージシャンとしても一人の男としても円熟の時期を迎えていた彼の表現者としてのプライドだったのかもしれない。
 ざわざわと落ち着かなかった僕の心は彼のナイーブな語りかけに次第に癒されていくようです。言葉の壁というものを超えて胸に迫ってくるものがあります。目の前の大きな喪失の前に萎えてしまいそうなたくさんの思いが Jackson Browne の誠実な歌で少し勇気付けられるかもしれない。彼は言う。

僕は、世界中のだれであっても心は同じだと思う。
音楽はそのことを知ることが出来る方法のひとつなのだ。

(脇元和征)






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