達郎書き起こしプロジェクト by ロック軍曹とサーカスタウン

1999/02/07 Sunday Song Book「History of Japanese Rock Vol.8(最終回)」



サザンオールスターズ/勝手にシンドバッド 1978『熱い胸さわぎ』
矢沢永吉/時間よ止まれ 1978『ゴールドラッシュ』*1
(BGM)山下達郎/レッツ・ダンス・ベイビー 1978『Go Ahead!』
ゴダイゴ/モンキー・マジック 1978『マジック・モンキー(西遊記)』
世良公則&ツイスト/あんたのバラード 1978『世良公則&ツイスト』
原田真二/てぃーんず・ぶるーす 1978『Feel Happy』*2
チャー/Smoky 1976『Char』*3
カミーノ/曲名不明 1975/12 下北沢ロフト *4
高中正義/憧れのセーシェル諸島 1976『Seychelles』
山下達郎/Paper Doll 1978『It's A Poppin Time』*6
イエロー・マジック・オーケストラ/コズミック・サーフィン 1978『Yellow Magic Orchestra』
竹内まりや/戻っておいで私の時間 1978『Beginning』

*1 村上ポンタ秀一(ds),後藤次利(b),坂本龍一(kb)。
*2 作詞松本隆、編曲鈴木茂。林立夫(ds),後藤次利(b),鈴木茂(g),佐藤準(kb)。
*3 Char(g),佐藤準(kb),Robert Brill(ds),etc。
ディレクターは渡辺有三氏(元ランチャーズのベーシスト)
*4 1975/12の下北沢ロフトのオープニングセッション。
メンバーは大村憲司(g),小原礼(b),村上ポンタ(ds),是方博邦(g)。
前身はバンブー。メンバーは大村憲司,小原礼,林立夫,ジョン山崎,
浜口茂外也,今井裕,村上ポンタ。
*5 ご存知六本木Pit Innでのライブ。
村上秀一(ds),岡沢章(b),松木恒秀(g),坂本龍一(kb),土岐英史(s)。

内容の一部
・ツアーは45本消化。残り3本。ついに今週で終り。8(Mon)倉敷、10(Wed)、
11(Thu)大阪で、千秋楽。

・先週4日に歳を一つとり、丁度東京の最終公演日にあたったので、プレゼン
トを沢山頂いた、こんなにプレゼントをもらったのは初めてで、楽屋はプレ
ゼントの山になりました、とのこと。

以下、「History of Japanese Rock」の内容。特記していない箇所は達郎氏の
コメント。

・日本のロックとフォークがニューミュージックを経て現在J-Popと呼ばれる
ようになり、日本の芸能・商業音楽の主流となっているが、それを支える最
大の力となるのがテレビ。テレビからロックスターやメガヒットが出るよう
になったのが20年前。

・ロックンロールをベースにした音楽がメジャーになるにはアーティスト個人
の力ではどうにもならない。70年後半からプロダクション、イベンター、レ
コード会社が支えるようになった。フォーライフ(吉田拓郎、泉谷しげる、
井上陽水、小室等の4氏が代表)等ロック&フォーク主導の会社も発足した。
この様な今と同じノウハウがロックミュージシャンの為にセットアップされ
た最初の時代が1978年前後。

・テレビでCM、主題歌などのタイアップがロックと連動してヒットが出た時代
だった。CMでは資生堂、カネボウなど化粧品CMからヒットが生まれ、矢沢永
吉も「時間よ止まれ」が資生堂1978年春のキャンペーンCMに使われてチャー
トのトップに立った。テレビ主題歌では元ゴールデン・カップスのミッキー
吉野率いるゴダイゴがテレビ番組「西遊記」の主題歌を担当し、メガヒット
となった。

・サザンオールスターズは渡辺プロに居た大里洋吉氏が独立して作ったアミュー
ズというオフィスがマネージメントした。こうしたプロのスタッフの力を得
て、メジャーなロックスターが誕生した時代。

・ヤマハのポプコン(ポピュラーミュージックコンテスト)を優勝し、世界歌謡
祭に出るのも当時の登竜門だった。ツイストは77年の世界歌謡祭グランプリ
受賞曲でスターダムに乗った。フォーライフから登場した新人アーティスト
が原田真二。プロデュースが吉田拓郎。作詞は松本隆で、「てぃーんず・ぶ
るーす」「キャンディ」「シャドウボクサー」と3連発ヒットを飛ばした。
このようなことはそれまでのロックでは考えられないことだった。また、
12,3歳から天才ギタリストと言われ、金子マリのスモーキー・メディスンで
活動をしていたチャー(竹中尚人)は76年に1stソロを出した。素晴らしい出
来だったが売れず、歌謡曲路線の「気絶する程悩ましい」を出したらこれが
大ヒットした。これら三組は当時「ロック御三家」と呼ばれていた。原田は
Gilbert O'sullivan系のブリティッシュテーストのモダンなコード進行を得
意とした人で、後に自分で詞を書くようになり、チャーは音楽性高かった。
皆音楽家として一流だったので、パブリックイメージとのギャップに悩んだ
り苦しんだりしていた。

・チャーのコメント
「当時のキャニオンレコードは今程メジャーじゃなくてインディーズに近かっ
た。初めて日本のレコード会社でロックを出そうと手探り状態だった。シ
ングルも出してヒットを狙ったがダメだった。当時、高校卒業してアメリ
カへ行き、現地で人を集めて渾身の処女作を作ったが、全国的には評価さ
れず、アメリカへ行こうとか考えていた。そんな矢先、プロダクションか
ら芸能界へ殴り込もうよという話があり、出来たのが「気絶する程悩まし
い」。自作じゃないし、ロックのポリシーに反するので冗談じゃないと思っ
たが、どうせ売れないからやるだけやっておさらばしようと思ったら、そ
ういうのに限って売れる(笑)。するとテレビ番組に呼ばれたり、自分が読
まない様な芸能雑誌とかに出て行って、あれは面白い体験だった(笑)。当
時の歌番組はビッグバンドが居て、今と違ってカラオケじゃないから昔の
方が面白かったけれど、僕はバンドなのに当時の番組プロデューサから
「チャーだけでいいよ、後はうちのバンドがあるから」と言われて、僕は
「それじゃ出来ません」と答えて。いろいろ喧嘩したりして、それでアーティ
ストがバンドで音楽番組に出るのが当り前になっていった。」

・チャーの1stは私の1stソロと同じ発売日だったので、ライバル扱いされてい
た。キャニオン VS RVCというのもあった。自分もチャーと同じくテレビか
ら出演交渉されたが、自分にはバンドがなかった。スタジオ・ミュージシャ
ンが演奏していたので、ギャラが折り合わなかった。もし自分のバンドを持っ
ていたら出てたかも知れない。運命を分け隔てる歴史の皮肉というか。

・当時のレコードはレコーディングスタジオでスタジオミュージシャンを集め
て、編曲家の指示の下で作られていた。当時の第一線で活躍していたミュー
ジシャンが先々週かけたティン・パン・アレーの面々で、キャラメル・ママ
やサディスティックスなど東京のミュージシャンが圧倒的に力量を発揮した。
彼ら70年代初期から日本のロックとフォークを担っていた人達が78年頃のロッ
クのヒット曲をバックアップしていたというファクターも見逃せない。こう
したスタジオミュージシャンのレコードからヒットも生まれた。代表が成毛
滋のフライド・エッグを経てサディスティック・ミカ・バンドへ参加したギ
タリスト高中正義。山下達郎も当時はスタジオミュージシャンの部類で、ラ
イブにはスタジオミュージシャンがバックを演った。その方針は今も同じで
固定したバックバンドではなく独立したミュージシャンの集まり。そうした
中からティンパンアレー周辺から生まれたプロジェクトYMOも登場し、80年
代に一世を風靡した。

・細野晴臣氏のコメント
「YMOが出た頃、一番印象的だったのが音楽用のコンピュータが出て来たこと。
それを取り巻く状況としては、街にはゲームセンターが出始めて、風船割
りゲームをやり始めた頃。インベーダーゲームはその後。先にそういうテ
クノロジーが出て来た。Kraftwerkももうやっていた。音楽でテクノなんて
言葉はまだなかった。それまでスタジオワークをやっていた人達なのでフュー
ジョンも得意。それぞれ音楽歴長いし、特に僕は中学の頃からインストグ
ループ、Ventures等を好んで聞いていた。テクノ確立前夜だからフュージョ
ンやかつてのロックインストが混じったりして出来たのが「コズミック・
サーフィン」。新しいひらめきが合ったのはとしては、コンピュータ・サ
ウンドとVenturesスタイルや'Telster'などSFサウンド、今で言えば
Sci-Fiをイメージして作った。今思うとアナログに比重が大きい。シーケ
ンサーしか使っておらず、コンピュータは使ってなかった。」

・細野さんは70年代の最も優秀なベーシスト。楽器演奏者は非常に厳しい練習
や研鑽を重ねて、正確なテンポやグルーヴを生み出すが、コンピュータだと
何の苦もなくやれてしまう。それに見入られたというのは細野さんらしい。
果してベーシストじゃなくて歌手だったら絶対に興味なかったろうと思いま
すが。構成をしてくれた塚田君と「70年代ははっぴいえんどに始まり、YMO
に終った」という話になり、東京出身の楽器演奏者のパワーというものが凄
かったことがお分かり頂けたかと思う。

・80年代以降はまだ歴史の評価は定まっておらず、レベッカ、ボウイ、Xなど
私の手には終えないので、機会があったらやりたいが(たぶんやらないが)、
誰か若手のライターにやって欲しいですね。

・私もロックの世界で20数年やって来たが、ロックのスタイルは変わって来た
が情念の部分は全然変わっていないと思う。ゆずなんてNSPと何ら変わらな
い。僕の世代の人達が、今の音楽は面白くない、昔は良かったと言うが僕は
そうは思わない。ただ、個人的に今の音楽界に不満を覚えるのは、スターばっ
かり作ろうとしていること。代紋抱えて唄ったり演奏している人間ばかり作
ろうとして裏方をないがしろにし過ぎている気がする。若い世代から優秀な
アレンジャーや作曲家、演奏家が出て来て欲しい。

・1970年代後期、既成の歌謡曲とは別にロックの世界からアイドル女性歌手を
作ろうという動きの中から出て来たのが私の奥さん。彼女のデビューヒット
を最後にかけて、8回の御静聴ありがとう。

今後の予定ですが
・2/14,21はライブ終了記念「棚からひとつかみ」。
・2/28はHistory of Japanese Rock番外編として、三浦光紀氏(ベルウッド創
設者、現在マーキュリーミュージックエンターテイメント会長)をゲストに
迎える予定。



circustown.net による放送書き起こしです。文責 circustown.net。抜け誤りはお知らせください。


Copyright (c) circustown.net 1999 - 2006, All Right Reserved