達郎書き起こしプロジェクト by ロック軍曹とサーカスタウン

1999/01/31 Sunday Song Book「History of Japanese Rock Vol.7」



センチメンタル・シティ・ロマンス/うちわもめ 1975『Sentimental City Romance』*1
上田正樹とSouth To South/むかでの錦三 1975『この熱い魂を伝えたいんや』*2
West Road Blues Band/ブルース・アフター・アワーズ 1975『Blues Power』*3
Soo Baad Revue/おおきにブルース 1977『Live』*4
憂歌団/嫌んなった 1975『憂歌団』*5
めんたんぴん/コンサート・ツアー 1977『Mentanpin Live』*6
ジュリエット/五柳先生 1976『Yokosuka Bay』*7
愛奴/二人の夏 1975『愛奴』*8
山下達郎/Circus Town 1976.10『Circus Town』*9

*1 名古屋出身の現役バンド。1stアルバム収録。シングルカットされた。
*2 ライブ盤。メンバーは上田正樹(vo),堤和美(g),有山淳司(g),正木五郎
(ds),中西康晴(kb),藤井裕(b)。
*3 山岸潤史(g),塩次伸二(g),永井"ホトケ"隆(vo)等の5人組。1st。
*4 国府輝幸(kb),山岸潤史(g),石田長生(g)等が在籍。
*5 達郎氏は1976年と行っていたが、アルバムデビューは1975.11.1。
#僕が10歳になった日だ、奇しくも(^^)。
*6 石川県金沢、小松出身。
*7 横須賀出身。達郎氏のビジネスパートナー小杉理宇造氏が初めてレコード
ディレクターをした仕事とのこと。
*8 広島出身。浜田省吾が在籍。吉田拓郎のバックなどをやっていた。
*9 達郎氏23歳。

内容の一部
・ツアーは43本消化。残り5本。3(Wed),4(Thu)NHKホール、東京最終公演。

・1/23の大分の後で風邪を引きかけ、宮崎へ移動後寝たきり、1/25は本番10分
前に飛び込み、鹿児島(28,29)まで2日間があったので48時間ホテルで缶詰、
なんとか乗り切った(初日の方は最後でスタミナが不足したが)、病気でキャ
ンセルしたことはないので、基礎体力はあるんだなと実感、とのこと。

以下、「History of Japanese Rock」の内容。特記していない箇所は達郎氏の
コメント。

・今回のテーマは、1970年中期に全国的規模でマイナーながらもいろいろなグ
ループの登場、中でも避けて通れない関西ブルースムーブメントと、地方へ
広まったロックについて。題して「関西ブルースの波と地方へ広がるロック」

・有山じゅんじ氏のコメント
「サウスはキー坊(上田正樹)が集めたバンドで、彼のライフスタイルがもろ
に出てて、今と違うて(笑)、彼のいい加減さが音楽に出てて凄くええなと。
「むかでの錦三」は当時サウスでツアー周りしていた時に、札幌でヤクザが
飛行機の列に割り込んで来て、喧嘩して、その時に「大阪弁でしゃべった
ら強い」と思っていた。大阪弁しゃべったら全国行ってもごっつ強いんちゃ
うか、というところで作ったようなもの。別に大阪弁だから強いなんて関
係ないんだけど(笑)。若気の至りというか。全部生活感というか、やって
る本人と歌の間に何の嘘もなかった。」

・東京のティン・パン・アレーと同じ頃に、突如として関西からブルースベー
スのムーブメントが登場した。何故大阪からなのかという理由は未だに謎。
ただ言えることは、ブルースのギタリスト、ボーカリスト、ミュージシャン
がどっと出て来て、どいつもこいつもめちゃくちゃに上手かった。ライブを
やらせると無敵。自分は当時Sugar Babeをやってて、今一緒にやっている難
波君も東京出身でバックスバニーに参加したのだが、二人とも関西ブルース
のミュージシャンを初めて見て、一晩中考え込む程ショックが大きかった。
R&Bに関西特有のいなたさ、泥臭さが加わり、えも言われぬグルーヴを生み
出していた。

・関西ブルースシーンでカリスマ的人気を博していたのが上田正樹さんと彼の
グループ、サウス・トゥ・サウス。ギターの有山淳司さん自身は本来はアコー
スティックのSSWテーストなので、サウスに居ることで優れた作家的なキャ
ラクターなどの良さが少し薄れる感じがある。

・サウスとウエストロードが解散後に登場したのがソーバッドレビュー。これ
も凄かった。キーボードの国府氏は当時高校生で詰め襟で演奏していたが、
めちゃくちゃうまかった。ギターは元ウエストロードの山岸さんと石田さん
で、特に石田さんは日本で一番好きなギタリストの三人の内の一人。

・これらのバンドがエレクトリックセットなのに対し、アコースティックテー
ストで登場したのが、皆様ご存知憂歌団。これも凄かった(笑)。ボーカルの
木村氏は有山じゅんじ氏と一緒に「木村君と有山君」というユニットをやっ
ている。

・木村充揮(昔は木村秀勝)氏のコメント
「結成したのは高校の同級生で、皆音楽が好きで。僕がBrothers Four、(内
田)勘太郎はPPMが良いとか言ってて(笑)。Creamとかニューロックが出て来
て、Claptonが好きな黒人のブルースに興味を持ち、エレキは金無いから出
来ないけど、カントリーブルースなら出来るなと。一緒にやらへんかと言っ
て、向こう(ブルース)のカバーをやって、向こうの言葉の意味わからんま
ま歌っていた。今でもようわからんけど(笑)。わかろうとおもえへんとい
うか、自分のイメージだけで歌っていた。ある時、日本語のブルースを歌っ
ている名古屋の尾関ブラザーズを聞いて、ええなと思い、自分達でもポツ
ラポツラとやり始め、レコードを出さないかと声かけられ、出来るだけ日
本語を多く歌ったらと言われた。こう見えても僕、日本語わかるから(笑)」

有山「横に居る者も最近判るようになってきた(笑)、木村が言うてる事が。」

「だんだん日本語のブルースになって来て、英語の方もなんか懐かしく歌い
たくなるような感じがして、そうしてずっと歌って来た。サウスは神田共
立講堂で一緒にやらせてもらって、僕等はいつも通りにやって、サウスに
なったら客が前に方に押し寄せて来て、『全然ちゃうなー、ちょっと見て
帰ろか』言うて(笑)。」

有山「一番始めに東京に来た時に憂歌団と一緒に来たんですわ。」

・個人的意見としては、演歌こそ日本の心とかいろいろ言われるが、我々の世
代にとっての本当の意味でのソウルミュージックとか、歌としてのリアリティー
はテレビでやってる演歌ではなく、こうした木村さんの歌などにあると思う。

・関西ブルースムーブメントは音楽家としての自分に大きな意味を持ち、今で
も大阪でライブをやると感慨無量。自分の全国的ブレイクが大阪から始まっ
たのも感慨深かったのは、自分が関西ブルースに打ちのめされたという経緯
があったから。

・70年代中期には大都市ではロックンロールベースの音楽がレコード作品とし
て出され、ライブも沢山行われる。それが地方都市へも波及されバンドが結
成され、ライブが行われて、レコードが作られていった。70年代中期の特徴
としては、レコードを重視するものとライブを重視するものとはっきり分か
れていた。関西ブルースは完全に後者。作品としての詞とか曲とかよりは、
どれだけライブで乗せられるかが先に来る。Sugar Babeの頃は、上田さんや
ウエストロードが出るイベントだと、なんとなく嫌だなと(笑)。

・めんたんぴんも当代随一のライブバンド。金沢にある彼らのオフィスは
Sugar Babeのオフィスと仲が良く、当時としては珍しく自分達のPAセットを
11tトラックに積んでいたので、必ず金魚のフンの様に付いて行った。ライ
ブは先にSugarが出て、後からめんたんぴんというのがセオリーだった。

・浜田省吾氏のコメント
「「二人の夏」は勿論Beach Boysの影響大で、子供の頃から好きで、それを
下書きにした、僕の音楽キャリアでのデビュー作です。当時、浅田美代子
の「赤い風船」という100万枚を越す画期的なシングルがソニーから出て、
それが発売になる前にソニーでリスナーを集めてモニターの反応を取った
結果、60%以上の支持を得ていた。そして「二人の夏」について同じ事をやっ
たら支持率が80%以上で、CBSソニーの歴史を塗り替える200万枚以上の大ヒッ
トになるんじゃないかと大騒ぎになった。でも結果的にはご存知の通り1
万枚も売れず、バンドは方向性がバラバラになって解散してしまった。そ
んな楽しい様な切ない様な思い出がある。」

・久しぶりにずらっと並べて聞いたが、どれもいまだに鑑賞に耐える。今日コ
メントを頂いた方々は20年立ってもミュージシャンのポテンシャルを保ち
続けているし、歌のアイデンティティも衰えていない。ではどうして、あの
当時あんなに売れなかったんだろうと思うけど、ライブとレコーディングが
遊離しすぎてたのかなとか、ピンクレディーなど歌謡曲に代表される営利目
的の芸能の枠にロックがはまり切らなかったのかなとか、全てたられば。一
つだけ言える事は、この頃のミュージシャンは本物でしたね。

・この他にも地方都市から多くのバンドが登場した。最初にかけた名古屋のセ
ンチ、博多からはサンハウス、沖縄からは紫、コンディション・グリーン、
金沢からは久保田麻琴、東京近郊でもあんぜんバンド(浦和)、四人囃子(東
京・鷺宮)など、ロックが全国的に波及していた。レコードという複製物に
よりロックが音楽カテゴリーとして認知されていき、レコード会社や芸能プ
ロもメガヒットを狙って物色して来る。実際に70's末期にロックとしてのヒッ
トが出て来る。

・次回Vol.8は最終回。80'sの頭までで、その先は歴史の評価が定まらないの
で(笑)。題して「お茶の間に浸透していく日本のロック」。YMOまでをやる
予定。

今後の予定ですが
・2/7「History Of Japanese Rock最終回」。



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