達郎書き起こしプロジェクト by ロック軍曹とサーカスタウン

1999/01/03 Sunday Song Book「新春対談 Part 1(ゲスト:大瀧詠一)」



大滝詠一/Rock'n'Rollお年玉 1977『Niagara Callendar』
市川実和子/ポップスター 1998 Single
山形かゑるこ/アン・アン小唄 1978『Let's Ondo Again/ナイアガラ・フォーリン・スターズ』

内容の一部
・ツアー。2/3を消化し、残り16本。こうなりゃ楽とのこと。
今年は1/7,8の名古屋からスタート。

・新春放談は今年は3週間やる。

以下、放談内容の抜粋。印象に残った箇所のみ列挙します。書き起こしでなく、
(これでも)要約してます。

・打ち上げ話
達:ライブの打ち上げでフジパシフィック関係の人にいろいろ会って、そこ
の代表取締りの人から、「大滝さんまた最近レコード出してないし、も
うちょっと何とか言ってやってくれ」と言われました(笑)。
詠:なんなんだよそれ(笑)?君の役目じゃないの。

・市川実和子のアルバム製作
詠:春先に出来る予定が、遅くても夏前に。まあ年内には出るんじゃないの。
達:私、「ポップスター」好きなんですよ。
詠:この曲は当初「パパのテレキャス踊ってる」という題の予定で、14歳の歌。
年齢別の曲でアルバムを作る予定なんですよ。14歳から始めて16,18,20で
34歳までやるということで、アルバムコンセプトは女の一生ですよ。

・達郎のライブ
達:大滝さんと会ってから25年。四半世紀経ちました。
詠:開業25周年ツアーだね。
達:まあ、普通ファーストシングルをデビューとするから、内弟子の時代は
数えないんですが。まりやは去年20周年。大滝さんは何年ですか。
詠:ヴァレンタイン・ブルーから30年。来年ははっぴいえんどから30周年。
達:エルビスのキャリアを越えましたね。
詠:向こうはもう増えないからね(笑)。それに、いい時は短いから。
それにしても今度のツアーには復活の力強さを感じたね。
「パレード」を聞いて思ったのは、あ、童謡だったのかということ。
これは当時気がつかなかった。これをシングルをするのしないので、
アーティストとプロデューサーの間で揉めた時期がありまして(笑)、
あの頃は童謡だったとは考えが及ばなかった。子供番組に使われる前から
最初から童謡だったのかとわかりました。

・高田文夫氏
達:大滝さんがコンサートに見えた時に高田文夫さんも来られたので、お会
いしたんですが、いい人を紹介していただいて。
詠:そんなに濃い付き合いじゃないんですが(笑)。
達:高田さんにお会いした時に最初に聞いたのが、「唐茄子屋政談」や「お
初徳兵衛」の一番最後の段はどうなっているのか(笑)。最後まで聞いた
ことがなかったんですよ。そしたら、延々やるんだけど最後の方はつま
らないと。
詠:わかんなくなったり、途中で止めるってケースが多いんだろうね。
達:でも周りに知っている人っていないから。
詠:ミュージシャンはミュージシャン、演芸は演芸のグループとセクト別に
分かれているからね。
達:最近又セクト化が進んでますね。若い世代は。前はクロスオーバーがあっ
たけど。
詠:以前だったら普通だったものが特別視されていって。
私は高田さんと同じ23年生まれ。どっかの道に分かれているんだよね。
道を間違えたら私が高田さんのようになったかも知れないし。
達:高田さんは大滝さんと同じ政治の季節に居たのに全く目もくれず寄席通
いをやって、それが結果的に芸が身を助けるように放送作家に役立って。
そうした特殊技能と一般教養のクロスオーバーですね。

・同窓会
詠:50になると同窓会の誘いがくるけど、一番懐かしいのが中2中3なんだ
よ。62,3年頃のポップスが自分への影響が強いのと、時代背景が思い出
されて。
達:アメリカのポピュラーミュージックが歴史的にピークでしたからね。
作家というか曲の時代ですね。
私は一番交流があるのは中学の友達。その方が感受性のある頃で、66,7
年。ツアーに行くと各地で当時の友達がよく楽屋にやってくる。
詠:個別の同窓会だね。

・大滝さんの今後
達:いろいろ若い人から葉書が来てますよ。「大滝さんの今後のスケジュー
ルは?」
詠:白紙です(笑)。
達:「一体どうやって生計を立てているのでしょうか?"A Long Vacation",
'幸せな結末'など大ヒットはありますが、その間10何年も歳月があるし、
その他の企画もあまり金になるような物とも思えず、成長されたた子供
さんをお持ちの一家の大黒柱としてどうなのか大変気になります」(笑)
詠:税務署員になった方がいいんじゃないの?(笑)
達:大滝さんはしし座流星群の様にバッと出て、またしばらくしたらまたバッ
と出て、つちのこみたいに居なくなって。
詠:丁度しし座だしね(笑)。
貴方は星のプロだからわかるだろうけど、流星と同じで、たまたま見え
ないだけで、私は居るのよ(笑)。哲学的に説明すると。
達:見えない人は縁がなかったということで。
詠:人ゴミの中を歩いても全員と知り合える訳じゃないのと同じで。
まあ、最近はテレビが中心になりすぎですね。
でも映画でも戦前の流行小説でも永遠に良かったケースはないからね。
どっかで変わるんじゃないかと。
達:まあ、いくら言ってもしょうがない(笑)。

・アンアン小唄
達:玉カルでやったきっかけは?
詠:ビクターの田村ディレクターが昔、小泉今日子の担当で「怪盗ルビー」
で仕事したりしたんだけど、その人が独立して仕事が回ってきた。山田
邦子の「アンアン」の担当もやってて、その時のアンアン小唄のコーラ
スをやったのが玉カル。そこでもう一辺この曲を活かすチャンスを狙っ
ていたらしい。で、私がやったのは詞の手直しを手伝った'だけ'。
達:(笑)
詠:プロデュースったっていろいろあるんだよ。はっぴいえんどのプロデュー
スは馬主さんだし、ラジオ番組のプロデュースはどこまでやってんだって、
どうでもいいじゃないの(笑)。聞いてよ、面白けりゃいいんだから。
達:で、アンアン小唄は元々『Let's Ondo Again』ですよね。
詠:実はこの曲はその又おおもとがあった。キングの日高なんとかという美
空ひばり系の女性歌手に唄わせたんだが、デビュー前に引退してしまっ
た。中田佳彦がディレクターをしてて、細野晴臣が「デジタル演歌とい
うのはどうだ?」と言い出したのがきっかけで。アレンジは矢野誠で、
オケは僕のより良い。矢野さんは『Let's』でもキーボード弾いてもらっ
てる。
達:それ初めて聞いた。4度目のカバーですね。
詠:1回もヒットしてないんだけど(笑)。

・曲名の流行
詠:それにしても今時小唄なんてつけないよ(笑)。音頭も最近はたまにだし、
ブルースもそろそろ無くなってきたし。はやりすたりがあるから当然だ
けど。
達:「踊ろうぜ」とか「ブギー」とかいうのもないですね。
アメリカでもハッスルとかバンプとかステップの名前がないですね。
ダンスの定型がないからでしょうね。
詠:60年代のダンスってコミカルでしたね。動物の真似でホースとかモンキー
とか。競馬のCMで馬の真似して踊るのなんていいんじゃないの?
達:競馬といえば、この間の中山記念で(註:有馬記念と思われる)ドラムのロー
ディが始めて馬券を買って当ったんですよ。二千円が八万円になって、
部屋代が払えたそうなんですが。
詠:そういうオチがいいね。
達:舞台監督のすえながひろし(字がわかりません)に、宝クジ売っている銀
行に行けばJRAという窓口があるからそこで払い戻し出来ると言われたそ
うで。で本当に銀行に行って笑われたそうです(笑)。
詠:ひろしは相変わらずひどい奴だね。顔に出てるけど。

・パブリック・ドメイン
達:じゃあ、そのオリジナルの「アンアン小唄」は来年まわしということで。
詠:いや、無料サービスは去年で終り。仏の大滝も去年まで(笑)。
達:具体的にどうするんですか?
詠:ボックスに入れようと思う。
最近思うのは、一般的に大事なものはパブリックドメインという思想で、
ラジオとかでいろいろ言っているけど、空気と同じで只と思うと大事に
されない。ありがた味がわからない。そこで経済行為を取り入れて、あ
る種の代償を払うことで大事にする心を養っていかないといけない。

・アンアン小唄を聞いて
達:思い出しましたよ。ジャケンポンとか僕がやってんですよ。芸の幅が広
がったのは一重に大滝さんのお蔭です(笑)。「禁煙音頭」の「煙が目に
染みる」も初めて歌ってみて「あれ、いい曲だな」と思ったのから始まっ
てんですよ。
詠:最終的にどうあれ、最初のアイディア段階のきっかけとしては重要な人
間なんだよ私は。

・NHK-FMの日本ポップス伝2
詠:今度は明治から初めて「1」を踏襲しつつ戦後まで。「1」と「2」で
ようやく総論が終る。「総論はいいから各論をやってくれ」と言われる
けど、まずは総論をやっておかないと。自慢じゃないけど、今回のあれ
は自分のアルバム以上の物なんだよ。
達:(笑)
詠:音楽活動がアルバムやシングル製作に集約されるってのは偏った考えだ
と思う。音楽なんて狭義のものじゃないんだよ。だから、あれが俺にニュー
アルバムなんだけど、どうせわかってもらえないだろうから(笑)。
そういうのを創作活動にしろと言われるけど、やったのが『Let's Ondo
Again』なんだよ。やっているんだよ、もう20年も前に。才能が至らなく
てあの程度にしかならかなったんだよ、難しいんだよ。
達:前後の脈絡関係なしに、唯一無比あそこで屹立してますから(笑)。
詠:だからあれ以上のものは作れないし、只なんだから御託聞いてよ。

#余談
#1/5日付の日刊スポーツ紙の高田文夫氏のコラムにて、
#昨年末の山下達郎コンサートを見に行った時の事が述べられていました。
#コンサート後だかに楽屋に呼ばれ、テーブルにフルーツなどが盛られている
#ゲスト専用楽屋(?)のような所に通されて、そこで山下夫妻、大滝夫妻、
#そして高田氏の5人の会談が催されたとのこと。
#達郎氏の第1声が「ところで『お若伊之助』の最後の方はどうなったんですか?」
#とコンサートと全然関係のない話なんで驚いたそうです。

今後の予定ですが
・1/10,17も新春恒例、大滝詠一さんを迎えての「新春放談」
・1/24から「History Of Japanese Rock」再開。



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