達郎書き起こしプロジェクト by ロック軍曹とサーカスタウン

1998/12/06 Sunday Song Book「History of Japanese Rock Vol.5」



竹内まりや/カムフラージュ 1998/11/18 Single
荒井由実/雨の街を 1973『ひこうき雲』
キャロル/ルイジアンナ 1973『ルイジアンナ』
ファニー・カンパニー/スウィート・ホーム大阪 1973『Funny Company』
(BGM)サディスティック・ミカ・バンド/何かが海をやってくる 1974『黒船』
サディスティック・ミカ・バンド/タイムマシンにおねがい 1974『黒船』
ダウン・タウン・ブギウギ・バンド/スモーキン・ブギ 1974『(續)脱・どん底』*1
カルメン・マキ & OZ/私は風 1975『カルメン・マキ & OZ』
外道/ビュンビュン 1974『外道』
四人囃子/一触即発 1974『一触即発』
シュガー・ベイブ/Down Town 1975『Songs』

*1 アルバム発売は1975年。

#ミカバンドとDTBWBは2ndアルバムで、その他はどれも1stですね。

内容の一部
・ツアーは今週12/6(日)アクトシティ浜松、10(木)11(金)は大阪フェスティバ
ルホール(3度目)。

・「History of Japanese Rock」は来週で終わる予定だったが、段々曲が長く
なり、スタイルも多様化するなど、とても6回では収まらず、8回に拡張し
て来年に持ち越す。今年はSSB(98/12/6)の分で一旦休み。

#あと2週で終りと思ったら、増えてしまった。。。

・竹内まりやさんからのメッセージ
「ドラマ(眠れる森)は残すところあと3回ですので、いよいよこれから面白
くなってきますから、皆さん是非ご覧になって下さい。」
達郎氏曰く「すっかり回し者と化している。」

#確かに、まだこれで解決はなかろうと思います。大どんでん返しがあるか。

・今週も「カムフラージュ」発売記念プロモグッズプレゼントの告知。

以下、「History of Japanese Rock」の内容。特記していない箇所は達郎氏の
コメント。

・今回のテーマは「ロックの多様化とニューミュージック」。だんだん自分史
と重なり合う世界に入ってまいります。

・松任谷由実氏のコメント

「私が荒井由実として『ひこうき雲』を出したのは73年の11月。当時はフォー
ク全勢でしたが、自分はフォークのことを全く知らなかったので、(自分の
音楽が)それに対比されて語られるのは変な感じがした。だから先に向うは
「四畳半フォーク」とか、自分がやっているのは「中産階級サウンド」だと
か勝手な事を言ったら、結構コピー的にぴったりだったようで、それで通っ
てしまった。後でニュートラルに考えるとラッキーな時にポッと出たなと
思っている。「雨の街を」は当時曲を作っていた八王子の実家の辺りが湿
地帯で、夜明けや夜更けには信号の色がぼーっとするぐらい霧が出た。朝
帰りなどすると「ここはどこなんだ」というぐらい幻想的に見えた。なん
てことない街なんですが、感受性のせいか、濡れているフィルタが掛かっ
たような世界を歌に留めたいと思って、いじって作った覚えがあります。」

・1972〜73年は、その直前までの70年安保などへの政治的関心が急速に萎んで
いく時期で、井上陽水の「傘がない」などに顕著に当時の心象が現れており、
挫折感や「しらけ」という言葉で語られた反動が色濃く出た時代だった。そ
れまでの日本語のフォークとロックがそうした時代風土に影響され、枝分か
れしていく。

・いつの頃からか「日本語のフォークとロック」が「ニューミュージック」と
いう言葉に置き換わっていく。そんな時代に登場した一人の女性シンガーソ
ングライターが荒井由実。73年のデビューアルバム『ひこうき雲』はキャラ
メル・ママ(細野晴臣氏がはっぴいえんど解散後に結成した4人組リズムセ
クション)をバックにし、それまでのフォークともロックとも全然違う作品
を歌った。コメントにあったように、「有閑階級サウンド」「中産階級サウ
ンド」「私は四畳半フォークとは違う」とか言う発言が初期に多かったので、
そういうところばかり取り上げられて風俗的/社会学的側面から言われるこ
とが多かった。だが、例えば同時代のチューリップ、かぐや姫、海援隊、井
上陽水のヒット曲に比べても作家的力量、詞・曲・演奏・歌唱の総力戦とし
てのレコードにおける音楽的レベルが根本的に違った。同時にMORというそ
れまでにあまりないスタイルで、純粋に音楽としての色彩感で勝負したこと
で、当時のロック的文脈から色々と批判されたりしたが、明らかに時代の新
しい切口として登場した人。ゆえに今日までリーダーシップを取っている。

・フォークの大ブレークから1年たった73年、エレクトリック・セットである
ロックでもヒット曲やヒットグループが生まれる。キャロルは、ロカビリー
などの洋楽の影響をモロ受けたロックから一皮むけて、オリジナルなロック
ンロールを作ったという意味では開祖と呼べる存在。また桑名正博氏のファ
ニー・カンパニーは当時、東のキャロルに対し、西のファニー・カンパニー
と並び称された。サディスティック・ミカ・バンドは元フォーク・クルセダー
ズの加藤和彦氏がロックセットに方針を変えて結成し、イギリスに渡り、
Chris Thomasのプロデュースによる、日本ロック史に残るエポックとなる作
品を作った。

・加藤和彦氏(サディスティック・ミカ・バンド)のコメント

「たぶん1970年初頭、今でもそうだがロンドンが好きでよく行って、1年位
住んでいた。ロックバンドをやりたくなり、当時は日本語のかっこいいロッ
クバンドというのが皆無だった。はっぴいえんどぐらいだが、でも彼らと
は方向性が違うので、お洒落っぽいロックというか、その頃ではグラム・
ロック等をやりたかった。「冗談から駒」という感じで、名前もレノンの
Plastic Ono Bandをもじるなど真剣味がなかった。僕とつのだ☆ひろとミ
カと高中(正義)君も入れてシングルを作ったり、プライベートレーベルを
作ったりした。それはそれで区切りがついて、(高橋)幸宏と知り合う。彼
とは偶然ロンドンで知り合ったんだけど(笑)。幸宏が小原(礼)を連れて来
たりして、高中は居残って、初期のミカバンドの形が出来た。その当時、
派手でショーアップして冗談ともつかない様なステージをやるグループは
少なく、寡黙なロックというか、髪伸ばして下向くような方が受けてたの
で、風当りが強かった。なぜか日本よりロンドンで受けて、Chris Thomas
が(プロデュース)やりたいと言って来たり、イギリスツアーが出来るとい
う話まで発展した。僕や他のメンバーにとってはある種の実験場。音楽的
にはもちろん、マネージメント形態、PA、ステージなどの実験場所、
Laboratoryという感じでやってました。」

・ユーミンやトノバン(加藤和彦)のように、それまでのフォークやロックより
華やかでスノビッシュなベクトルに行く者。キャロルやファニカンの様に質
実剛健、ヤンキーな乗りで押しまくる者。そういう風に分化していった。

・1973〜4年、バンド(タイガースでしたっけ?)のマネージャーだった宇崎
竜堂氏はDTBWBを結成、始めは全然売れなかったが、衣装を買う金がなく、
つなぎにリーゼントという出立ちでやったらどんどん人気が出、1974年に60
万枚を売る大ヒットを生む(「スモーキン・ブギ」)。日本のロックは輸入文化
である為、1970年頃は当時のアメリカのロックからの影響と政治の季節を反
映して内省的だったが、段々ロック本来のロックンロールテーストが復活し
てくる。特に日本では当時から暴走族文化/ヤンキー文化が盛んで、キャロ
ル、DTBWBからクールス、シャネルズ、横浜銀蝿、バブルガムブラザーズと
幾多の物を変遷して現在も系譜が続いている。その中で、宇崎氏の作曲能力
が阿木耀子の詞とくっつくことで、歌謡曲と匹敵する大衆性をロックンロー
ルが勝ち得て行ったという、歴史の最初の一コマだった。

・ロックに足枷がなくなり、日本のロックは多様化し、より成熟していく。自
分のあまり聴かないブリティッシュテーストやプログレテーストのバンドも
登場して来た。「時には母のない子の様に」で知られるカルメン・マキが突
如始めたロックバンドOZは、シャウトするハードロックの走り。加納秀人率
いる3人組外道もハードサウンディングで、化粧するなど今のビジュアル系
の元祖か。音楽的にはスパイダーズに始まり、今のイエモンに継る文脈。日
本のプログレッシヴロックの走りとなるのが四人囃子。

#イエモンよりはブランキーかな。

・森園勝敏氏(四人囃子のギタリスト)のコメント

「「一触即発」はレコーディングの三年前、四人囃子が出来て間もなくから演
り始めた曲で、割と世間に知られてレコーディングしないかという話になり、
1974年2月ぐらいに六本木のスタジオで録音した。スタジオに入ったら、長
い曲なので7箇所ぐらいに分けて録ろうというアイディアをドラムの岡井大
二(当時の変名、嵒(いわお)大二)が言い出して、えっと思った。どうやって
やるんだろうと思ったけど、まあいいからって(笑)。最初にイントロとコー
ダのパートを録って、後はバラバラに録った。よく継ったもんですね、あれ
は。当時はクリックなんて使ってないですからね。一番よく覚えているのは、
オルガンのベース鍵盤、普通フットペダルなんですけど、それをダビングす
る時に手でそれを弾いていた(笑)。あとは階段をスリッパでひっぱたいたり、
そんなことをやってワイワイガヤガヤ言いながら作ったアルバムです。」

・1973〜75年は自分がこの商売を始めて時期で、私が73年にシュガー・ベイブ
を結成し、75年に『Songs』を出した。全く私と同時代の人達、OZ、外道、
四人囃子も共にステージをやったことがある。シュガー・ベイブの前が外道
で、後がセンチメンタル・シティ・ロマンス、その後がムーンライダーズな
んて時代もあった。

・次回の「History Of Japanese Rock」第6回は来年1月第3週を予定。内容
は「ティン・パン・アレー周辺の流れ」。

今後の予定ですが
・12/13は「棚からひとつかみ」。リスナーからのツアーの感想などを紹介す
る予定。(数多く寄せられ、無視するのはしのびないので、とのこと)
・12/20,27は年末恒例「竹内まりやさんとの年忘れ夫婦放談」
・翌年、99/1/3,10は新春恒例「大滝詠一さんとの新春放談」。タイミングが
良いので、はっぴいえんどの話でも。
・99/1/17から「History Of Japanese Rock」再開。#あと3回かあ、ふう。



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