達郎書き起こしプロジェクト by ロック軍曹とサーカスタウン

1998/11/22 Sunday Song Book「History of Japanese Rock, Folk & Pop Part 3」



竹内まりや/カムフラージュ 1998/11/18発売 Single
高田渡/朝日楼 1969『汽車が田舎を通るそのとき』*1
加川良/教訓1 1971『教訓』*1
友部正人/一本道 1973『にんじん』*1
岡林信康/私たちの望むものは 1970『見るまえに跳べ』*1
西岡恭蔵/サーカスにはピエロが 1972『ディランにて』*2
西岡恭蔵/プカプカ 1972『ディランにて』*2
あがた森魚/赤色エレジー 1972『乙女の儚夢』*2,3
及川恒平/面影橋から 1972 *2,4
六文銭/雨が空から降れば 1971 *2,5
はっぴいえんど/春よ来い 1970『はっぴいえんど』*1,6

*1 URCレーベルの作品
*2 ベルウッドレーベルの作品
*3 レーベルの1stシングルにしてトップ10ヒット。当時のオリコンによれば
30万枚も売れた。バックは はちみつぱい(ムーンライダーズの前身)。
*4 六文銭のメンバー
*5 小室等作曲
*6 アルバムの通称「ゆでめん」

一節
The House Of The Rising Sun(朝日のあたる家)

内容の一部
・ツアーは11/21(土),22(日)札幌の後は25(水)静岡。

・12月から『COZY』のクリスマス仕様を出すという告知。12/1〜12/25の期間
限定で、ジャケットのフィギュアがサンタになるとのこと。結構綺麗な仕上
りらしい。

・11/18「カムフラージュ」発売記念でプロモグッヅのプレゼント。
歌詞に安直に因んでマグカップとシガレットケースのセットにサイン入りポ
スターを付けて10名。今回は面倒臭いので泣き別れなし。当選発表は年末
恒例、まりやさんがゲスト出演時に。

以下、「History of Japanese Rock」の内容。特記していない箇所は達郎氏の
コメント。

・今回は、70s初頭マイナーだったロックがメジャーになる過程で重要な位置
を占めたURC,ベルウッド,エレックの「三大レーベルの時代」について紹介
する。

・高田渡氏のコメント
'The House Of The Rising Sun'は良い曲だが、詩の内容(言わば女郎の話)
についてはあまり日本では知られてなかった。そこで日本語にして歌ってみ
たくなった。日本語にするにはまず向こうの歌を訳してから直しにかかった。
「いや、そんな筈はない」と。日本人だったらそう考えないという風にして
変えて行く。「銭がなけりゃ」(『ごあいさつ』所収)も元は英語の俗語(何
だったか聞き取れず)だったけど、「金」だと上品なので「銭」にしたり、
色々と置き換えていった。

・高田さんのくだけた和訳は、言わゆる漣健児さんのやったことと同じであり、
60年代的展開が漣さんなら、70年代は高田さんのスタイルになる。

・日本のロック/フォークは洋楽に対する誤解や無知が当初あったが、それか
ら10年ぐらいたった70s頭にはそれがとれていった。ロックンロールのルー
ツやバックグラウンドが明らかになるにつれ、音楽としての表現が向上して
いった。そして音から言葉へ目が向くようになった。ロックンロールは生活
に密着した音楽であり、こうした音楽の強みを詩の世界でも持ちたいという
必然的な流れとなり、そうなるとカバーポップスやGSなどの荒唐無稽な歌
詞に違和感が生じて来る。

・フォークムーブメントで学生や若者の視線に立った詩の世界が獲得され、そ
れが70年安保の政治の季節と結び付き、70年代頭には歌の世界が言葉として
どう展開されていくかが問われていた。歌謡曲など既存の商業主義の世界か
ら一線を画したものを作ろうという流れが生まれた。それは既成のレコード
会社では作れないので自分たちでレコード会社を作ろうという動きが起こっ
た。いわばインディーズのはじまりであり、最初に出来たレーベルが1969年
に作られたアンダーグラウンド・レコード・クラブ(URC)である。

・URCは当初、会員制のレコード販売組織であり、会費を払うとアルバムを送っ
たり、主催するコンサートに呼んだりした。発足から1年足らずでレコード
が売れ始め、普通のレコード屋に置いたり、大手のレコード会社に権利を渡
したりして、内紛が起こり、分裂して行った。URCは、これこそが今に続く
日本のロックの原点としての動きである。

・URCは関西中心の活動なので、関東でもそうしたものを求める声が大きくなっ
た。URCは草分けであることと、政治の季節と密接だったことから派閥抗争や
内紛でぎくしゃくしていた。そこで新しいレーベルを作ろうという動きがあ
り、キングレーベルの子会社としてベルウッドが誕生した。音楽的内容とし
ては(3大レーベルの中では)自分の活動に一番近い。

・西岡恭蔵氏のコメント
72年7月にデビューした。何故ベルウッドからデビューしたかというと、URC
から友人の大塚まさじと永井洋の二人がザ・ディランII(セカンド)としてデ
ビューすることになった。その前年(70年)にザ・ディランIIが中津川フォー
クジャンボリーに出演し、その時の実況録音盤がベルウッドから出た。あれ
は画期的なことだった。ザ・ディランIIはあの中で「サーカス〜」を演った
ので、彼らはURCからデビューするので、曲を書いた西岡はキング(ベルウッ
ド)からデビューするようにという心使いがあった。当時自分は何もするこ
とがなかったので、レコードを出せば生活出来るかなと思っていた。「プカ
プカ」は、この曲のおかげでいまだに音楽活動が続けられるのかなと思うが、
作ろうとして作ったというよりはポッと出来たという感じ。70年頃、「翼を
翻す天使達の舞踏」という黒テントの後楽園球場での公演に参加し、そこで
ベースを弾かせてもらい、その時の体験から作った曲。

・渋谷に「BYG」という現存するロック喫茶があり、その地下がライブハウス
になっている。高校時代に西岡さんがゾウ恭蔵という名前でギター一本で弾
き語りをするステージを見、その時に「プカプカ」を聞いて良い曲だなあと
思い、それ以来のファン。

・BYGと、はっぴんえんどのオフィスの「風都市」という事務所が一緒に企画
してレーベル発足の話を持ちかけて誕生したのがベルウッド。

・小室等氏のコメント
六文銭はプロで食っていきたい思いはあったが、集まってきた連中は皆アマ
チュアで、解散が近い「出発(たびだち)の歌」を歌うグループ(71年頃)では
芝居出身の人が多かった。及川も芝居出身だった。「雨が〜」も「スパイ物
語」という別役実さん作の芝居に及川と六文銭が出演して歌ったのが最初。
そういう意味では他のフォークの連中とはちょっと違った型というのが六文
銭にあったのかもしれない。

・時間がなくてエレックは次週持ち越し。来週のPart4は、エレックと、三大
レーベルによる日本語のフォークとロックから誕生したヒット曲とスター、
そういったオーバーグラウンドへ向かって行く動きをお届けする。

・「History of Japanenese Rock Part1」について。

小坂一也とミッキー・カーティスはオリジナル音源がとうとう発見できず、
リレコをかけた。いつかオリジナルをかけたいと思っている。

荒木一郎のデビューヒットは「今夜は踊ろう」ではなくて、「空に星がある
ように」だった。また、荒木一郎は忽然と消えた訳ではなく、今も現役であ
るとのこと。 いろいろとリスナーから指摘を受けて、反省しているそうです。

今後の予定ですが
・11/29は「History Of Japanese Rock Part 4」。



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